国技館、カネコアヤノ

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今日も東京はやたらと天気が良かった。知らない街を、天気の良いときにひたすら歩く。ばあちゃんが世間話をする。生活の息遣いがただよう。街を、まるごと味わうかのような感覚。

朝ごはんを買いにスーパーへ行く。野菜をあまり食べていない。ので。

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トマトを買って、公園で食べた。汁が垂れたって平気。水場でジャバーっと洗う。美味しい。

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そこから歩いて浅草の方へ。今日は国技館でライブがあるので、その近くへ。仲見世通りは人が多すぎて断念。人生初雷門。雰囲気だけでも結構楽しい。至るところに「東京マラソン」の看板がある。おお、ちょうど今日じゃん。遭遇できたらいいなあ。それにしても天気が良い。

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そして遭遇できた。青空の下、観光客がたくさんいて、そしてまたたくさんの人々が走り抜ける。すごい群れを成して。「がんばれ〜」という声が響く。各々仮装したり、黙々と走ったり、大声を出したり。

平和だな、と思った。平和そのもの。とにかく、イマココ、この瞬間だけは絶対に平和だといえる。なんだか、この風景をジジイになったら思い出しそうだ。「良かったあの頃」として。絵画になりそうな。ノスタルジアの雛形。

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相変わらず考えることが多いので喫茶店へ。ずっと矢沢永吉が流れている。おれは紙に書かないと全然考えが整理されない。ひとまず、大阪→東京を24時間以内に自転車で走り抜けるための装備を考える。積載道具から服装、ライトなど多岐に渡る。

ひとまず、上野のサイクルショップでボトルを購入。水入れるやつ。あとメールしたり、ジモティーで自転車に取り付けるバッグを貰う約束を取り付けたり。いくらなんでも突貫すぎる。普通は普段からガチでサイクリングしている人間がこういう無茶なチャレンジをするものであって、勢いでやるモンじゃないなと思う。それに、まあ順当に良い道具を買えばやり易くはなるのだが、「限界まで身軽かつ安く」という強迫観念がどうしても消えず、代用品とか中古品ばかりになりそうだ。自転車に取り付けるバッグだって300円だった。ガチで安い。

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まあチャリの話はいい。今日は国技館のギタージャンボリーにやってきた。カネコアヤノに会いに。てか国技館は初めてだ。ワクワクする。のぼりが立って、人がわんさかいる。この高揚感。やっぱ祭りって世の中に必要やな。

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マジで相撲観るノリでライブを観る。楽しかった〜。あとちゃんこうまい。500円で安い。しかもオープニングで樽酒割るんだけど、それも飲める。人生で初めて飲んだけど木の香りがしてすげえうまい。相撲文化を遊び心たっぷりに音楽フェスと融合させていていいイベントだった。カネコアヤノは夕方からの出番で、昼から他のアーティストも演奏する。名前は聞いたことある人、全然知らない人含めとても素晴らしい時間を過ごせた。いやあ、こうヌルッと音楽をひたすら浴び続けられるの最高だ。

 

そして、カネコアヤノだ。なんだか自分までドキドキバクバクに緊張する。一曲目は『わたしたちへ』

 

なんだか、彼女のライブに行くたびに度肝を抜かれるのだが、今回も例に漏れない。物凄い迫力だった。どこから発生しているのだろうか、というほどに力強い歌声。ステージの真ん中に彼女は存在するわけだけど、地球のマグマを一点に集めて、全部カネコアヤノを通って出てきたって感じ。そしてMC一切なし。ひたすら歌い抜ける。痺れる。そして、カネコアヤノはこうするしかないんだろうなと思う。歌うしかない。クチャクチャ喋ったりしない。喋らない、というより、苦手なんだろう。ただ歌うだけ。カッコよさについて考える。それは諦めから生まれるのかもしれない。己について完璧に理解したがゆえの、諦め。「これしかできないからこれしかしない。」という潔さ。それがカッコよさの土台である。普通の人間はそれがなかなかできない。「頑張ればできるんじゃないか?」でも、そこをあえて、捨てる。本気で捨てる。捨て切るからこそ、マジの自分だけで生きる。その迫力がカネコアヤノにはある。どこまでもどこまでも伸びてゆく声。神奈川の生歌とはまた違う伸び方。背の高い国技館全部を覆い尽くす。宇宙まで突き抜けるんじゃないかとスルッと心配してしまう。

この舞台、実は回転するので他のアーティストはグルグル回す。回りながら四方の客に顔面を見せる。しかし、カネコアヤノは一切回さない。一ミリも。そして一点集中で歌い抜ける。ずっと同じところを見据えて。途中で退席する人はフェス中通しているのだが、そいつらを射抜いて仕留めようとしているかのような熱、迫力、そして凄み。服は華麗な柄のワンピースで、体格も華奢だ。入場のときも、イカついオーラが漂っているわけではない。どこにでもいそうな。けど、アコギを握ると何もかもが変わる。ス、と天地がひっくり返る。本当にどこからこの声とエネルギーが出てきているのだろうかと、心の底から疑問に思ってしまう。信じられない。他のアーティストは盛り上げという面も意識して、エンターテイナーとしても振る舞う。しかしカネコアヤノは違う。殺しにきている。ガチだ。一人だけ違うスポーツをしている。「ふれあいワクワクテニスきょうしつ」で、一人だけ隕石で壁打ちしている。ドカーン!ドカーン!ドカーン!

そして、おれはその潔さにやっぱり惚れ惚れしてしまうのである。完全にやられてしまっている。まいった。

そして、さらに新曲が良すぎる。もう、良い。ひたすらに良い。なんで一曲にこんなに情感を乗せられるのだろうか。カネコアヤノの良さ全てが詰まっている。ふわっと場面が立ち上がる瑞々しい詩。ふと現れる刺すような力強さ。そして全体に漂う、胸が千切れるような切なさ。しかし最後には必ず希望が添えられていて。

俺は幸せだ。カネコアヤノと同時代に生きられることが堪らなく幸せだ。そしてすぐ側にも愛すべき人がいる。こんなに嬉しいことって、なかなかない。

次は合奏に行きたい。ただ、仕事が出張多いしなあ。しかし行くのだ。新曲早く発表してくんないかな。

明日は、電車に乗りまくる。彼女の歌を聴きながら、といきたいところだけど、イヤホンをなくしたのだ。でも、大丈夫。残響が残っているから。

2024.3.3

 

こだわりの紅茶、薬酒、浅草

2024.3.2

今日もロードバイクを探す。サイクルショップのホームページを表示。心を無にして、ひたすら電話をかけまくり呪文のように欲しい自転車のスペックを唱える。おれは意外とテレアポとかできるかもしれない。お店のテナント探すときも、心を無にして不動産屋に凸しまくった。三十件は行ったかなあ。こういう脳筋プレイ、嫌いじゃない。

しかし、まあ結局保管場所の関係でレンタルすることにした。色々とアドバイスくれたみなさま、感謝。

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寒々しい公園でずっと電話かけてたんだけど、流石に疲れて隣にあるお茶専門を謳うカフェに行った。店長さんがお茶のプロで、入るなり「はじめてですか!サービスしちゃいます!」と言われ、お茶を試飲させてくれた。アッサムかハーブティーがベースらしく、そこにタロイモとか乗ったりしていてめちゃくちゃおもしろい。最初はご飯だけ食べる予定だったんだけど、試飲したアッサムがマジで美味かった。自分も昔インド直輸入のアッサム使っていて、「俺の淹れる紅茶がどの喫茶店よりも美味いな。」とか思っていたのだが、やはりガチ勢には勝てない。ここのアッサム、まず香りが爆発している。こんなに強烈な香りがするのか、と思わされた。やはり高級な茶葉を使っているらしく、淹れ方も「そんな方法が!?」というビックリするものだった。やはり、ここはスタンダードなミルクティーということにした。

美味い。うん、うまい。そしてカレーも美味い。スパイスがパキッと効いている。「ここのメニュー全部食べてください!すげえこだわってるんで!」良い。このカラッと晴れた商売っ気。やっぱ、人間関係って基本的に湿っぽいわけで、こういう損得で結びつけられた、乾いて晴れたつながりってすごくいいなと思う。いいものを作ったから売りたい!買ってほしい!ここにある無邪気さよ。

商売っ気は人を健康にして解放する。

「一茶一会」https://maps.app.goo.gl/1j4orA5J96frZzg99?g_st=ic

 

そこから、ウインズ後楽園へ。

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この時点では新車のロードバイクを買うか中古か、レンタルかで迷っていたので、

「ん?今日は中山競馬場オーシャンステークスあるじゃん!」

→「ん?まてよ競馬で当てて10万くらいがっぽり勝てば新車のロードバイク買えるんじゃ…?」

 

結果、ボロ負け。

 

f:id:kirimanjyaro7:20240303011344j:image(12R後。どことなく背中に哀愁が…)

もういい。脳みそが機能を停止した。アワ、アワ……。ひとまずなんか食うか。

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ここで蘭州ラーメン。前からずっと食べたかった。中国に滞在していたときから気になっていたし、周りの人間も「美味い」と言っていた。

そして、やはり美味かった!なんだろう、スープは淡白っちゃ淡白なんだけど、旨味がギッシリ詰まっている。麺も小麦の風味が凄い。いや小麦じゃないかもなんだけど、「ナマ」感がある。素材がダイレクトにクるかんじ。そうだな、蘭州ラーメンは素材のうまみの単純な掛け合わせなんだ。別にハーモニーとかなくたって。うん、うまい。みんなもぜひ。

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あと麺の太さも変えられる。凄い。ちなみにこれより太くできるし、替え玉は無料だった。

「花臨蘭州牛肉麺https://maps.app.goo.gl/r2gUr4qo9Lu7wooHA?g_st=ic

 

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歩いているとコーヒー屋に出くわした。挽かれた豆から漂う強烈な香り。樹液に群がるカブトムシの気持ちがよくわかる。吸い寄せられて、一杯。ジャズが爆音で鳴る。正直うるさかったが、アドレナリンが出るのか、意思決定がサクサク進む。そう、ロードバイクをどの手段で手に入れるのか。ノートを出してメモを書いて整理する。サラサラ〜。紙に書くと、元気が出る。紙の肌触り、ペンの音。目の前に物質ができる。自分の手の中から生命体が生まれる。生殖にも似た、そんな喜び。そして入店から三十分後には閉店時間だったので、「閉まるまでに」という意識が強烈に働き、その中でジャズの轟音。カフェインも入ってトリップに近くなる。コーヒーを啜りきって、結論は出た。色々とややこしいのでハッキリは書かないが、まあ新車は買わないことにした。やはり、チャリと登山は両立できない。今年は山に専念する。新品と中古の折衷案。ひとまず、漕ぐぞ。

そこからホテルを調べるも、どこも高い。土曜だもんね。なんとかお手頃なホテルを見つける。地下鉄に乗る。ホテル近辺の雰囲気はこれまた、良い。Google MAPを見ながら彷徨う。すれ違った外国人もGoogle MAPを見ながら迷っていた。われわれは巨大IT企業に翻弄される子羊なり。

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そこから、人生で初めて浅草に行ったんだけどもう街の雰囲気がめちゃくちゃ楽しい。「江戸」「東京」って感じがプンプンする。関西では絶対味わえないね。

今回はじめてまともに東京を巡ったけど、無機質なコンクリートジャングルなどではなく、駅毎に特色と歴史が存在する、楽しい街であるなという初感。昼間にきちんと観光したいな。

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そして、「浅草薬酒バー」というところに行った。ここがマジで楽しかった。飲んだことのない、薬酒というモノがたくさんある。もう全部未知の世界で、何から何まで初めての味。こんな楽しいことってあるのか!やはり、ニンゲンはドンドン知らない世界を知っていくべきなのである。だってめちゃ楽しいから。しかし、雑居ビル三階のバーなんて、昔は絶対一人では行けなかったけど、かなり怪しい雰囲気かつ木造一戸建ての二階にある店を自分でやってしまったので、あまり抵抗がなくなってしまった。

やはり、店というものは良い。それぞれの思想がある、島なのだ。店という独自世界が広がり、その雑多と喧騒こそが世の中の豊かさを支えている。店という存在は豊かさというものを物質・空間として規定しているのだ。やはりサイコーだな、おれは絶対老後にまた店をやろうと思った。人生のラストは、自分の今までのありったけをぶつけた空間を作って終えたい。チョー幸せじゃん。

だって、自分の全て、人格や思想全てを空間にできるんだぜ?その中にリアルな他者が来て、楽しんでくれるんだぜ?究極の自己肯定なんですよね、好きなように店をやるってのは。

まあ、でも一旦は他にも色々やるしかねえな。正社員まで一ヶ月を切る。この三月、どこまでやれるか、だ。

 

(2024.3.2)

ロードバイクを探して

2024.3.1

三月の始まり。今日は一日中ロードバイクを探していた。あの、競輪選手が乗っているような自転車を。なぜかというと、友人と一緒に大阪から東京まで、24時間以内に走り切るというチャレンジをすることになったから。

そんな無謀なことをするのに、肝心の自転車が未だに手元に無いのは重大事態であるとは自分でもあるのだが、まあなんとかするしかない。

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というわけで上野のカプセルホテルを出る。温泉も付いていてよかった。そして天気はとても良い。ジモティーに安いロードバイクがあったので、どんなもんか見に世田谷まで行く。東京の地理感覚が全然わからないんだけど、上野から世田谷って結構遠いんだな。えっちら電車に乗って小一時間。遅刻ギリギリ。てかほとんど遅刻。「予定通りでよろしいでしょうか?」集合時刻ピッタリにメッセージが来て焦る。そして、待ち合わせ場所まで走る。そのとき、上着の裾からニョキ、と出ている紐がガードレールに引っかかってしまい、それに気付かず全力疾走していたので、ビヨーンと、ブレーキがかかった。そして、走る勢いが強すぎたのか、ビリビリに布が、裂けた。よくわからない。

東京でなんか服が裂けた。

そしてロードバイクはちょっと窮屈だった。あまり身体に合わない。そそくさと礼を言って、今度は自転車屋に向かう。やはり個人取引より先に店に行くべきだよなあ。

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写真は駒沢公園。天気が良くてサイコーだった。店に行き、説明を受けたのち良さげなヤツを公園で試乗させてもらう。「ランニングコース」、という地面の表示のうえを大学の体育会かと思しき学生たちが必死の形相で走り抜ける。「サイクリングコース」はその隣。なんだか少年心をくすぐられるつくりだ。関西ではこういう場所はないような。こう、運動に特化したような公園。ただ人がひたすら走って、チャリも走りまくるだけの自然。是非一度行ってみてほしい。やはり東と西では、微々たる差異がある。

バスに乗って世田谷から駒沢まで移動したわけだけど、世田谷の雰囲気ってめちゃくちゃ良い。洒落た住宅街を、快晴の中、バスに乗って移動する幸福。生活そのものであり、生の喜びである。車窓から見える風景が光に包まれている。

さて、自転車のサイズは微妙に合わなかった。デカく育ちすぎたなあ。次。中心部に戻ることにする。新宿。また引き返すように、電車に乗る。

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新宿。空が青い。都会の空は、やはり青くあるべきだ。高いビルがニョキニョキ育っていく気がする。

そして新宿の店はデカかった。ものすごい数の自転車がある。「本店」との表記もある。イケるんじゃね…?店員さんに、サイズがあるかを聴く。「いやあ…。」お手本みたいな渋い表情。

ここもダメだった。どうすれば!しかし、なぜか気分はすこぶる良い。今の移動には理由が、ある。無為な放浪ではない。ロードバイクを手に入れるための旅。そのための移動。これがとてつもなく心地が良い。獲物を追い求めて各地を転々とする。人類に原始的にインストールされた快楽と言えるのかもしれない。

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生搾りオレンジジュース。半信半疑だったけれど、結構うまかった!

こういう珍しいモノにもひょい、と飛び付ける。ミリ秒未満で。考える前に動ける。いいね。凄くいい。

それから三店舗回ったが、どれもしっくりくるモノがない。端的に言ってサイズがデカすぎるため、選べる車種が少なく、予算オーバーになる。いやはや。でも、店のハシゴは純粋に楽しかった。走って、ジョギングして移動していたのだ。東京はヘンな坂が多い。ぐねんぐねんの中を、走って、チャリ屋に入る。走ると全てが近くなる。全部自分の手のひらの中にある。歩くのは違う。歩くのは暇つぶしだ。歩くときはまだか、まだかと言いながら歩くしかない。けれど、走ると自分から掴みにいける。欲しいものを取りにいける。いいね。凄くいい。

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やや離れた距離の場合は都バスに乗った。これもまた楽しい。電車に乗りがちだけど、混んだ道路をかき分けるみたいに進むバスだって悪くはない。都会の中の浮雲

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今度はまた渋谷で乗り換えて、中目黒へ。移動の効率が悪すぎるがやむなし。なんとなく地理が掴めてきた。そんな気がする。しかし、ここは下町風情溢れるというか、ひたすらに雰囲気が良いな。

そして、さらに予算とサイズピッタリの自転車を見つけた。ボロさだけが気になる。今は買うかどうか、迷っている。でも、多分買うことになりそうな気も。わからない。また明日も探すしかない。

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ネットカフェへ。大阪から東京へ、自転車で、それも24時間以内に。ルート選定からタイム管理、休憩ポイントの設定などやることは山ほどある。パソコンをシバいて調べまくるしかない。

段々と調子が上がってきた。移動と目的。今の自分が一番欲しているのは、この二つなんだと、気付いた。コンクリートジャングル、なんていうけどやっぱりジャングルは楽しいのである。

あと、全然関係ないけどさっさと自転車買って中山競馬場まで漕いで行きたい。競馬がやりてえ。ひとまずウマよりも、速く。

(2024.3.1)

 

カネコアヤノ 神奈川そして生歌ー神奈川県立音楽堂ー(2/29)

色々と楽しいことをした、夜だった。京都。白紙に戻るかのような、魂の洗濯。バカなことをして、バカな話をして、バカみたいに騒いで、バタっと倒れて眠る。学生時代からずっといた場所。何もかもが落ち着く。いつも何かをするまえは、ここで寝ていた。とある先輩の、一軒家。

起きて、身支度を整えそこを出る。全然時間がないので走る。ほとんど間に合っていないのだけれど、「諦めるな!」と、鴨川の橋の上で自分を叱りつけながら走り、なんと、発車時刻に自動改札機を通り抜けたにもかかわらず間に合った。

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神奈川県立音楽堂

今日、カネコアヤノがここでライヴをする。それも、音響設備を使わない生歌で。

ホールに入る。開演10分前。ブザーがなる。5分前。ブー。神奈川県立音楽堂は音響設計にとてつもないこだわりを持って作られ、「東洋一の響き」と称されるほどであること。そういった内容がアナウンスで流れる。場内の時計は開演3分前を指す。ふと、会場が静かになっていく。波が引いていくように。おしゃべりの音が遠くに引いていく。無言での協調。

何も言わないまま、手を取り合う。

開演時刻。より一層静かになる。しかし、カネコアヤノはまだ出てこない。約3分ほど経過する。ポツポツ、ザワザワ、客席がふとした瞬間に鳴る。そして一瞬また引いていく。ほんものの波、のように静寂がなんとなく訪れる。

開演時刻から約10分。客席の灯りが徐々に落ちていく。木で出来た会場は暗闇に包まれる。そういえばホールの名前は「木のホール」だ。ステージにはアコースティックギターが2本。楽譜代。水。それを置く、台。たったそれだけ。こじんまりとした空間。1000人以上が入る会場の広さからすると、あまりにも小さい演奏空間。柔らかな照明で照らし出される。静寂は最高潮に達する。

カネコアヤノが出てくる。舞台上手から。一瞬のためらいのあと、ちょっとした雷みたいな拍手が鳴り響く。とてつもなく長い時間待った。そう思えてしまう。開場中のBGMも何もないまま、音響設備さえ使わず「裸」で歌うカネコアヤノを待つ我々も、また全てが剥き出しになっていたのだった。肌と肌の触れ合い。空間が隔てられている中、で。

カネコアヤノが席に座る。カネコアヤノ、だ。そう認識した時点で、形容し難い喜びが足の裏から湧き出てくる。一曲目は『わたしたちへ』。ハッ、とする。少し不安がよぎる。本当に「生歌」だ。マイクもなければアンプもない。生のアコギに、生の声。いつものライブほどの音圧はない。カネコアヤノは、何かを掴もうとするかのように、絞り出すように、歌う。とかどき顔をクシャ、とさせる。大丈夫だろうか?でも、あなたの歌はきちんと届いているよ。

しかし、曲を経るごとにそんな心配は無用になっていく。だだっ広いステージを、最初は掴みどころのなかった空間が、カネコアヤノの声に染みていくのがわかる。肌でわかる。木々がミシミシと音を立てて慣れていく。なじむ。だんだんと色が空気に触れていく。そして広がる。身体の奥底から、誰からも見えないところから、カネコアヤノの声が響き渡る。震える。その空間全てが震えて、そして1000人以上の我々はその中に入っていく。溶け合う。歌声の中で溶け合う。そして、それは至福、としか言いようのない時間であるのだ。

カネコアヤノと、それを聴きに来る観客。2つのモノが、同じ場所にいて、その周りにぐるっと線がひかれる。囲まれる。そして、我々はカネコアヤノになり、カネコアヤノもまた我々になる。見る/見られる、歌う/聴く、という対立ではなく、あの空間では歌っている人間が聴き、聴いている人間が歌っていた。その矛盾が、カネコアヤノの歌声の上で、そして70年の歴史を誇る神奈川県立音楽堂の繊細な木造ホールの上で、完璧なバランスで成り立っていた。ライブというものの究極形態なんじゃないかとさえ思えた。ずっと、ずっと聴き続けてきたカネコアヤノ。大学に入ってからの人生のあらゆる困難を、喜びを、彼女の歌声と共に歩んできた。色んな人、ありとあらゆる景色、記憶の奥底に残っていたどうでもいい1コマが、ふっと湧いては消える。魂を水に浸けて、そこから色々が滲み出る。目を閉じて聴き入る。たしかに、何にも邪魔されない歌声がこちらに向かってくる。ただただ、ナイフを胸に突き立てるようにこちらに入り込んでくる。ズブ。

ラストの新曲。最後の畳み掛けるフレーズにストレートに、やられてしまった。滅多に潤わない自分の目の縁に涙が溜まる。溢れではしない、そんなくらいに。

ライブが終わるとカネコアヤノは白い布に包まれた格好で、トタトタと、風に舞うティッシュみたいにハケていった。その軽さと、歌っているときの重さ。これが、おんなじ人間なのだ。

帰り。雑踏。JRの駅。「今日ほんとに良かった…」と2人組が話す。

 

本当に、良かった。

 

良い、とはこういう気持ちを表現するために存在するのだろう。

ありがとう、カネコアヤノ。また、あなたの歌を聴きにゆきます。

(2024/2/29)

 

三月になにをするか イルカの手づかみ

三月は丸々一ヶ月ヒマだ。正確に言うとヒマ、ではないのだが、時間がある。ここ一年はこういう狭間の時間がやたらと多いな。ライフスタイルが変わって、次に移りゆくさいの、隙。

七月も丸々一ヶ月自由だった。そこから働いたり色々、自分を縛ってみた。そして、三月また自由になる。緩和と緊張の繰り返し。しかし、七月ほどのワクワクというか、緊張感はあんまりない。いやあ、しかしついにおれも四月から正社員か。信じられんな。それが決まったのもつい三ヶ月ほどまえなのか。

話は変わるがこの間山小屋に行った。高校山岳部の卒業生たちが運営している山小屋で、長野県某所にある。スキー好きの卒業生が何人かいて、スキーの楽しさを伺ったところ「マジでパウダースノーが顔面にかかったときに脳から汁が『ブシャッ』って出るねん」と言っていた。やはりいい高校、いい部活に入ったなとつくづく思う。危険な沢登りの話、1000メートルの標高差を一気に滑り降りる山岳スキーの快感、ゲレンデでの暴走、骨折談、諸々ヤバい話がたくさん聞けた。その中で「やっぱ金か命賭けないと楽しくないやろ」という言葉がポロッと出てきて、うなづいた。いや、金も命も掛かってない楽しいことだってあるだろ、みたいな反論はあるだろうが、しかし我々は賭けたいのであると思う。というか、やはり突き詰めればガチで楽しいことって金か命がたしかに掛っているはずだ。どっちも掛かってないことなんておもんないのである。死にそうだからヒリつく、というのとはまた違う。人間の本能というか。東京タワーの展望台から、下を見下ろす。自分がそこから落ちる妄想をする。恐怖して、次の瞬間には胸を撫でおろす。

「落ちてなんかいない。生きている。」

まあしかし、やっぱ何かを賭けねえとなあ、と、最近の生活を振り返りながら思う。とりあえず三月は気球に乗りたいな。別に命賭けるわけじゃないんだけど。楽しいじゃんね。あとは鉄道乗りまくるか。なんか、結局こうだ。やりたいことはそうそう変わんないね。島にも行きたい。うん、変わらん。結局夏に思ってたのと全くおんなじ。やっぱ、ちゃんとしよう、とか思って縛ってもイミない。人間の魂の器の形なんてそう変わらんのである。しかし、やはりずっと好きに解放されっぱなしってのもバランスが悪いのだろう。ここから軽く、ね。どんどん切断しよう。頭も空っぽに。ひとまず、明日は最終勤務。やります。あと、イルカは手づかみしません。してみたいけどな。した人いたら教えてな。

(2024.2.27)

地下鉄が苦手だ

地下鉄が苦手だ。すぐに迷ってしまう。京都市営地下鉄は何度乗り間違えたかわからない。行き先と真逆の方向に乗ってしまう。発車してからいやな予感がして、気づく。竹田に行こうとして、国際会館に向かう。

地下鉄には景色がない。地下だからあたりまえなんだが、ホームの両側に到着する電車からは個性が消えている。地下鉄以外は違う。反対方向の電車には、それに相応しい風景がある。京阪で例えば枚方市から出町柳に行くときにしか見えない家の屋根。反対に京橋に行くときにだけ出てくるコンビニの影。昼は明るく、夜は暗い。冬は寒いし、雨だと濡れてしまいそうになる。

地下鉄には何もない。だから間違える。ただただ同じ。自分の中の磁場が狂う。これまで、記憶のある限り、地上を走る電車を乗り間違えたことはほとんどないように思う。真逆の行き先に行く電車に向かってしまったことなどなおさら。でも、地下鉄はほんとうによく間違う。今日はなんと大阪メトロで二度逆方向に乗ってしまった。本当にウンザリする。味がない。去勢されつくしている。やはり都市と地下鉄の相性はよいな。この、風が吹かない感じ。

鉄道界隈でも、あまり地下鉄好きはいない気がする。いるにはいるんだろうけど、地下鉄を熱心に取る撮り鉄とか見たことがない。地下鉄の乗り鉄なんて意味不明だ。

今日は朝地下鉄を乗り間違えたせいで、JRの切符を撮り損ねてしまった。10時ちょうど発売だったのに、数分遅れてしまった。恐るべし、地下鉄。俺をJRからも遠ざけてしまう。

やはり、風が吹き景色が変わるというのはヒトにとっての喜びなのだ。そこで嗅覚も研ぎ澄まされてくる。判断ができるようになる。ただ、周りが何もかもタイルで覆われてしまうと、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。

やっぱり風を吹かせないとなあ。トンネルから吹く生暖かい風を感じながら、思う。もっと、地球がうごめく圧力を。平衡感覚を見失わないように。

苦行を欲している

いわゆる苦行を欲している。険しい山に登ったり、延々と何百キロも自転車を漕いだり。激しい坂をゼェゼェ言いながら歯を食いしばって漕いだり。そのまま鼻血を出したり。着の身着のままで北海道で野宿をしたり。凍えながら雪山でテントを張ったり。始発から終電まで、20時間鈍行列車に乗ったり。寝ずに京都を歩く。三条の松屋の向かいの石に五時間座って夜を明かす。苦しいことをとてつもなくしたい。なぜか。

生きている実感が湧くから。

ギリギリの極みの中でしか、生の実感を得られない。いわゆるアドレナリン中毒であるのかもしれない。

安定なんてしたくない。ずっと不安定でいたい。全ての状況は変化してほしい。変わり続ける波の中で、即興的に自分の立ち振る舞いを変えることに強烈な快楽を覚える。波に乗る中で、即興で、生きる。目標としている自分の姿がある。何も考えずに行動すること。全て身体と直感と魂の言うことを聞いて動くこと。

直感こそが神である。本気でそう思っている。頭でゴチャゴチャ考えて出した結論は全部ゴミだと思っている。進路とか、就職先とか、恋人選びにしてもそうだ。全て魂の言うことを聞け。俺は本気でそう思っている。

直感を押さえつけ、魂の声を無視し、「理性的に」考えようとして世の中で正しいとされていることに沿って意思決定をすることを俺は愚かだと思っている。なんでそんなことをするのか。自分という魂の入れ物があって、その声を聞くことだけがつまりは生きることじゃないか。それ以外なんてないじゃないか。俺は心の底からそう思っている。

一切何も考えず、但し全てのことに「正しい」という直感を持てる状態。俺はその状態になることをただひたすら目指している。そうなれば、どんなに周りが変わろうと、どんなに危機が訪れようと、ただ踊るだけでよい。身体の鼓動に合わせて踊ること。生きる喜びそのもの。

直感こそが神である。

これは俺が普段から考えすぎる人間であり、限界まで神経症的に突き詰めてしまうがゆえの処世術である。何も考えなかったときは全てがうまくいく。間違いない。しかし、その前提として、病的に張り詰めた神経がある。そこからの、解放。自分の人生を、一旦寝かせる感じ。考えに考え抜いて、一切考えずに生きること。その中で生まれる「なんとなく」の幻影を信じ切ること。その状態に至る一番手取り早い方法が、苦行なのである。鳴り響く脳内が、段々と身体に溶けていく。段々と「そうでありそうでない」状態になる。フワッと溶ける。浮く。身体の真ん中に風穴が開く。風が吹く。浮く。溶ける。その中で選択をする。フワッと浮かぶ。風が吹く。乗る。波に乗る。サイコー!という気分になる。そこから風が吹く…。この繰り返し。思えば、「ミチミチに神経が張り詰める→苦行か突発行動」というサイクルでずっと生きてきたような気がする。なんだかそういう自分の基本形からは逃れられないという、それこそ「直感」もある。まいった。やはり、極まりの中にしか生は存在しない。ヤバいな、結婚とかできるのだろうか…。まあ、それはそれとして。

というわけで提出ギリギリの課題を今からやる。マジで時間がない。

生きている、な。

(2024/2/15)