人と会う

人と会うとやはりすこぶる調子がいい。発散、発散、とにかく発散だ!回し車を回し続ける、これだけが必要。開き続ける。開かれ、続ける。

やっぱりスれてる奴はつまらない。今日もえらく不機嫌でぶっきらぼうな奴がいたけど、表に出すなよと思う。結局ずっとつまらなさそうに一人で突っ立ってるだけだったし、やはり機嫌よく開かれ続けないといけない。クールとか全部意味ない。アツく、色んな人と混じり合うことがこの社会で一番楽しいことじゃんか。クールぶって、人選んでる奴は普通に孤独に死ぬだけ、お疲れさんって感じだ。

動き続ける!充電完了!

秋だ

秋だ。急に秋になった。毎日が穏やかでたまらない。過ぎていくし、流れていく。

身体は起きている感じがあんまりしない。何度もやめてしまったけれども、これからは日記をつけようと思う。生きていることそのものだからだ。肉体は消えてなくなるけれど、精神は文字というオブジェクトになって生き続ける。いま、この、まさにという瞬間を残すことができる。人間を人間たらしめているのは言葉を喋ることだ、と大学の英語学の先生は言った。もっと言うと、多分文字こそがキモなのだ。文字こそが、文という存在がヒトそのものだ。ボノボだって言語のようなものを発してコミュニーケートできる。けれど、こんなにも多様に存在する文字こそは、世界への彩りそのものであって、ずっと意味の洪水に溺れることを可能にさせてくれる唯一の救いだ。

そこに音を乗せる。文字がストックだとすると、音はフローだ。どうやって流していくのか、というそのことだけを音に込める!音を鳴らして書いていく!多分、僕の中での生きるってことはそんな感じなんだろうなと、この歳になって朧気にわかってきた。

秋だ。生暖かい風が身体を包む季節だ。うっすらとしたオブジェクト。創作の秋だとか言われるのは、多分この空気に秘密がある。包まれる、この物質に近い季節が、たまらなく好きだ。

手の形

寝る前、ベッドで横になって、手の形をかぞえている。電源タップから放たれる緑に照らして、手を動かす。結構いい手だ。色んなものを握れる手だ。自分だ。自分自身が、ここにいる。

考えている。答えは出ないけど考えているし、そのあいだ手を動かしている。きちんと、生きている。少し落ち着く。握ってみる。空気だけがある。感覚はない。硬いものは存在しない。けど、握っている。緑の光を握ってみる。

8/31

おーんもうおわりか。はやすぎる。きびしい。あんなに遠かった100日後が、もう30日後になってる。恐ろしい。

爪を、突き立てていく。抗う。シバく。無理にでも噛み付く。

やっていく。逃げない。とりあえず身体を動かす。より流れていく方へ。気持ちのいい方へ。

我慢は充分したから!より、どんどん流して!

家を決めるぞ!

8/29

つかれた~頭ボウっとする。やっぱ製造業はあんまやりたくないなあ。モノ売りのキツさ。もっとソリューションとか売りたい。

今日は新しいことに挑戦できたので、ヨシ。失敗したけど!今はミスりまくれるボーナス、駆け抜けてやめてえ。結局やめてえ、これに尽きる。もっと火力上げる!

”ベンガルトラとウィスキー"

久しぶりに聴いた。andymoriの曲だ。この曲をよく聴いていたときから、だいたい5年以上が経つ。

自分の中身がそっくり入れ替わったみたいだ。5年。人間が別人になるのに充分すぎる期間。あのときの気分というか感覚を、中々言い表すことができない。あえて言うと、透明だった、そんな感じだ。透き通っていた。あんまり世の中のことを知らなかったし、ただ目の前の快楽を追い求めていた。ただ、今が楽しいことこそが全てで、時間はもはや経過しないものだと思えていた。ずっと頭の上に風が吹いていて、季節はずっとずっと、秋口だった。夏が終わった感覚がいつまでもずっと続いていて、『すごい速さ』を流しながら、夜の国道171号線を疾走していた。

こう表現するのは気恥ずかしいけど、とにかく駆け抜ける青春だった。あとの時間と前の時間が蒸発しそうになって、時が進み続けて永遠に続いていく感覚。

身体の形もリズムも変わっている。ロックンローラーは、昔の曲を一体どんな気持ちで歌うのだろうか?色も風も変わっているだろうに。けど、音は意外と一定なのかもしれない。見えないビートがひそんでいるのだ。

まさに、あのときは丸一日ぜんぶ無駄にしてしまっていた。とはいえ、今もわりとそうなのかもしれない。見せかけは忙しいけれど、実は安いウイスキーを飲んだくれていることに近いのかもしれない。

飛び出すぞ!もう少し!