リーマン的価値観のつまらなさ

サラリーマンになって五ヶ月目になる。まあ仕事は楽しい。ダイナミックな面もあるし、何より人と関わって何かを成し遂げるというプロセスは人間の悦びと結びついているように思う。まだ一年も経っていないわけで、これから先、色んな苦難やより大きな景色を見ることもできたりするだろう。もし勤続して運良く役職を貰えると、それはそれで結構刺激があるのだろう。

ただ、だ。賃金労働者として働くのは良いのだが、やはり、サラリーマン的価値観は絶望的につまらない。組織で働く以上体制順応的思考と周囲の機嫌伺いという「世渡り」的な精神が大前提の基盤として要求される。そこから価値転倒が起こるということは原理的にあり得ないように思う。収益を挙げるという行為は、一定のレールに従いサイクルを回すという動力から発生する。迷いや「別の仕方」へ思いを巡らせるのではなく、一辺倒になり、身体を動かす。その偏りが、やはり何度欠伸してもしたりないくらい、つまらない。絶望的なほどに。

揺れ動く価値、動き続ける不安定さ、モノの見方が転倒し続け、何が本当かわからなくなる、渦。渦そのものになっていくさま。確かにこれは不健康であり、一つの基準に従い何かをやり続けるという労働の在り方はある意味で健康そのものであるので、それが自分の救いになっている面も少なからずあるのだが、やはり、身体のリズムとは合わない。これに一生を捧げることは絶対に出来ない、という確信がある。

揺れ動くダンス、果てしなく続く世界の鼓動。この目で、瞳で、黒目で、瞳孔の底で、今の世界の全てを焼き付けたい。何もかもを記録して、見て、ただただ、考え続けたい。ぷるぷるとする寒天のような世界の中で、ただひとときの静止を楽しめるだけでいい。

今は、ゲーム的にサラリーマンを楽しんでいる。人生はどうにでもなるので、先のことは一切考えていない。27歳にしてまだサラリーマン歴半年にも満たないということは、肝を本気で据えざるをえないということだ。本当に、何事もどうにでもなる。どうにもならなければ、どうにもならなかったなあと思うだけだ。この世はゼリーだ。プリンだ。揺れている。ただただ、揺れ続ける。そんなときにどんな音が鳴るのか。鈴の音が鳴る、と歌う人がいた。俺はどうだろうか?一度、鳴らしてみるだけだ。

(2024.11.18)