逆潮流

言葉が逆に流れていく。適切なタイミングで、うまく発散させないと、頭の中でゴミのように渦巻いてしまう。思ったこと、思いついたことを形にしないと気が済まない。そうしないと、一日が終えられたようなそんな気持ちになれない。思いついたこと、感覚全てを書き表したくなる。それはとっても面倒といえば面倒なことなので、できればそんなことはせずに過ごしていきたいのだけれども、これは宿命だと思って諦めている。

吐き出さないと、楽になれないから。苦しいけれど書くしかない。カネはあんまりないし、色々とよくわからないが、書くしかない。

帰りの新幹線で気絶していた。新横浜からの帰り。東横線から新幹線への乗り換え通路を歩いているときに、なんだかこの乗り換えをとてつもなく急いだ記憶が、身体の奥底から呼び覚まされた。なんだか走っていたし急いでいたけど、いつのことだか思い出せない。本当に色んな場所に行ったけれども、チラっとした煌めきしか覚えていない。行きは夜行バスで、四列シートで、狭くて、隣の奴が脚はみ出させてくるしとてもストレスフルだったのだけれども、帰りの新幹線は新横浜で気絶していると、名古屋で目が覚め、そして気絶し京都に着き、最後は新大阪にいた。なんだか魔法に満ちているような世界だ。関東の、澄んだ空気(関東の空気は関西のそれと比べて、物質として軽いように思う)を吸い込んでいたはずなのに、いつもの大阪の、どよんとしたどうしようもなさに包み込まれてしまう。しょうもない大阪だ。自由席の隣に座っていたおじさんは、新横浜で乗ったときは窓の外を眺めていた。うっすら名古屋で目覚めたときも外を眺めていて、最後新大阪で降りるときも、彼は、ずっと、窓に顔を貼り付けていた。おじさんはずっと車窓を眺めていて、その間に時速300キロで鉄の塊が動き、俺は2時間ぽっちで500キロほど移動してしまっていた。なんだか、何もかもが、たまらなく不思議なことに思える。どうしておじさんはずっと外を眺め続けられるのだろうか、と思うけども、高い新幹線特急券代を支払うのであれば、延々と車窓を見ることが正解なのかもしれない。

それにしても、俺は過去新横浜で何を急いでいたのだろうか?全く思い出せない。もっと、車窓を眺めてみたりした方がいいのかもしれない。記憶が情報の渦の中で薄れてしまう前に。暗闇にぼうっと光る屋根を、今度は眺め続けてみよう。それにしても、やはり新幹線は高い。ユニバより高い。だから、窓の外を見る。高速で動き続ける世界を見るための、見物代だな。

(2024.11.24 ドウデュースが優勝したジャパンカップの後で)