電車に乗る。頭がぼうっとする。会社の携帯はオフにしている。たまに、気になって電源を入れると、見計らったかのようにオフィスから掛かってくる。
先輩は休みの日も常に携帯を肌身離さず身に付けていると言った。曰く、着信が無いと営業マンとして不安になる、と。もう一人の先輩は、年末の温泉旅館にもノートパソコンを持っていくと言っていた。緊急対応を行う為、らしい。誇らしげに彼らは語る。
どちらもバカバカしい。アホかと思う。個人事業主ならまだしも、イチ会社員がそこまでの責任感を持つのは過剰だ。我々は命そのものである時間を、魂、つまり自由を企業に売り渡しているのであり、その対価として定額の給与、安定した身分が与えられているにすぎない。契約の範囲内のみにおいて役割は果たすべきであり、残されたわずかな自由を進んで差し渡す意味がわからない。
かかってきた電話を無視して、電源を切ってカバンにしまう。翌日何を言われても知ったこっちゃない。休むとは、切断を意味するのだ。
それにしてもなんとなく身体が重い。疲れが溜まっている感覚。何もかも神経質に、繊細に捉え過ぎてしまう。ある程度ブレーキをかけて、太く捉えていく必要がある。労働に対しても、気がつけばのめり込んでしまうきらいがある。意図してラインを引かねば持続可能性がない。
話が逸れた。スーツを着て、そのまま電車に乗り続ける。コスプレをしている。自分で始めたことじゃないことを騙って、振る舞っている。自分の手で作った訳ではないモノを、売っている。広告が流れる。モノを欲しがっている人間に、効率よく売る為のソフト、ツール。売ること。大学の文化祭でルゥを青色に着色して青いカレーを売ったことがある。とても楽しかった。鴨川の前でギョーザを焼いて売ったことがある。これも楽しかった。自分は売ることが好きなのかもしれない、と感じて店を始めた。でも、どうやら違うらしいことがわかった。あまり商売をやることに対して身体が傾いていないっぽい。本質的には新しい世界、他者との出会いに喜びを覚えているわけなので、売る、という行為はその触媒に過ぎないのだと思う。
演劇をしていた。さも別人かのように演技をする。芝居。演技は舞台の上でのみ行われる、かと思いきや、実は世の中は演劇的に成り立っているらしいことを、会社に入って痛感した。驚愕の事実だった。賃金労働者たちは、「〇〇会社の▲▲です。」と名乗り、まるで自分が組織そのものであるかのように振る舞う。一切興味がなくてもあるように話し、どうでもいいと感じていても重大事であるかのように眉を顰めてみせる。スーツを着ることによって、演技のスイッチを入れる。声を張り、楽しく振る舞う。己の延長線上にはない音を奏でている。なんだかよく分からないけれど、月末に金が増えている。知らないところで役職という名の地位が与えられ、人間が欲するところの自由、つまり裁量がエサとして与えられる。ゲームのシステムみたいに昇給や手当が決まっていく。そして、なんだかよく分からないけれど、月末に増えるカネが、増えている。満足感もあるし、色々と覚えてきたし、やれることは増えるし、後輩には威張れるし、楽しくなってくる。酒を飲むと愉快になるし、エネルギーをバカ騒ぎで消費できるし、欲望は夜の店で発散できる。頭からケツまでカッコで閉じられた、システムだ。循環するサイクルの中で「生きて」おり、経済という化け物の中に吸収されていく。しょっぴかれるモノはどんどん増えていき、資本が蓄積される日は永遠に到来しない。
魂が滲み出していく先へ。延長線の上で、俺は生きていきたい。誰かが作った踊り場で踊らされるのではなく、自分でビートを刻みたい。生命というリズムの中で、己の中でこだまするそれそのものの中で。全部は伸ばしていった先に踊れる場所はある。別の場所ではなく、同じ場所の先だ。
カネコアヤノの年内最後のライブに行った。彼女の音楽について、言語化がうまくできない。初めて出会ったのは中東から帰ってきた、2019年の夏だ。森道のライブ映像を観て、一発で虜になった。浮遊感が好き?声?歌い方?歌詞?正直なところ、いまだになんて言えばいいのかわからない。けれど、敢えて言うなれば、俺の求めている音がそこにあるから聞いている。ライブ中、乗っ取られたみたいに吠えたり、声を振るわせたり、飾り物ではなく、命を剝き出しにして吠えている。外からはそんな風に見えないけれど、叫びたくてたまらない衝動がスルッと飛び出している。生活の歌?丁寧な暮らし?アホかと。何を聴いてるんだと思う。ムカつく奴らを蹴散らして、自分のやりたいようにやるという弾ける精神に、俺は惹かれている。音を奏でるというその単純な営為に、頭がクラクラしてしまう。ただ丸くて、丁寧なわけではなく、荒っぽく噛み付いている。俺はまさにずっとそうしたくて生きてきたわけなのであり、だからこその憧れが投影されているだろうことは認めざるを得ない。自分で色んなことをどうにかできた先に彼女の音楽はあるのだろうか?自分がやりたいようにできたときにもまだ聴いているのだろうか?今も、『もしも』のリフがずっと残響している。
"ほら小さな 頃のお前が"
北海道まで聴きに行った。モエレ沼に行けて本当に良かった。人生の宝だ。屋上の展望台から、うっすらと広い空が広がる。この土地にしか許されない匂いだ。
色んな人と土地の垢が、カネコアヤノの音楽と共にある。2019年から2024年まで。22歳から27歳まで。コロナが始まる前の穏やかな日々から、留年したり店を始めたり色んな人と出会って別れて、仕事始めて辞めて、色んなところに行って帰って塞ぎ込んだり、どうにもならない20代のほとんどを、彼女の音楽と共に過ごしてきた。ドラムのボブが抜けて本村くんが抜け、光さんが入ってiizukaさんがやってきて、また光さんが休んだりして。俺もめちゃくちゃ色んなことがあり、本当に苦しいときも、むしろ苦しくてたまらないときほど、カネコアヤノを聴いていた。カネコアヤノ、kanekoayanoを聴いて、彼女たちの変化を受け止める。そして自分も変わっていることを再確認する。ライブの場でうねりのように絡み合う。一年は早い。けれどきちんと毎秒が積み重ねられていて、ライブの度にその突き合わせを行なっている。自分がどんな場所にいるのか、確かめる。彼女たちがどこに行っているのか、受け止める。まさしく生きていくということ。生きることは、大げさではなく、僕にとってはカネコアヤノの音楽を聴きにいくことなのだ。
今年最後の弾き語りだった。光の筋が射す。その時々によって、舞い込んでくる音は変わる。ライブのときは、聴いているというより自分に語りかけている。普段は絶対思い出さないことを思い出す。去年の年末のビルボード。無職の境目だった晴豆生音。無職になった東京のギタージャンボリー。ブラック企業でヤバいことになった森道(本当に最高だった!)。たまらなかった大阪味園、奇跡みたいだった日比谷野音、ビックリすることばかりが起きていた大阪野音。宝物みたいなモエレ沼に中央公会堂、爆音のクアトロ、忘れられない出雲の夢番地。そして大さん橋ホール。知らない場所と、嬉しくてたまらない音に触れさせてくれた一年でした。
何もかもが終わったように感じてしまった2023年だったけれど、今年の日比谷でkanekoayanoが始まったことを告げる姿に、人生をひっくり返されるような衝撃を受けました。スコーンと、突き抜けるような夏の日比谷の空を見上げて、僕は「まだ何も終わっちゃいないな。」と驚くほど素直に思い直したのでした。多分、変化はこうした些細な景色の中から生まれてくるものなのだろうし、それからの僕というものの中では、今からが始まりなんだという音が響いています。どこまでも伸びていくような東京の暗くて軽い空と、ずっとミンミン鳴いていたセミと、そしてあの音たちが、心臓の裏側にこびりついていてずっと剥がれません。それからずっと一本の糸が僕の真ん中を突き抜けていて、それだけが僕を奮い立たせています。
光の方へ。あなたのいるところへ。