名古屋に出張した。何度来ても、固くてゴツゴツした街だなと思う。好きな人には申し訳ないが、僕は名古屋が好きではない。濃すぎるソースの味。無機質に広がる都市空間。栄の感じもギラギラしすぎていて苦手だ。東京は、あの歴史に揉まれた味わいがある。大阪はなおのこと柔らかい。けれど、名古屋にケレン味のようなものを、感じられたことはまだない。
過ごしているうちに良いところが分かってくる、という向きもあるのかもしれないけれど、最初に行った頃から肌に馴染まない。最初がダメだったら、もうとことんダメだ。合う合わないは、もう予め定められているのだと思う。
始めて名古屋に来たのは高校二年のときだった。ママチャリで東京にどうしても行きたくなって、冬休みの終業式のあと、衝動的に飛び出したことを今でも覚えている。お金がなかったから板チョコ十枚を百円ローソンで買って出発した。大阪からひたすら漕いで、生駒の方へ抜けた。どんどん夜になっていって、清滝峠の辺りで恐ろしいほどの心細さが押し寄せた。周りに誰もいない。走っているのはトラックだけだ。圧倒的な孤独。そして寒い。十二月の二十五日。はっきり覚えている。思えば、本当の意味での孤独を覚えたのは、あのときが初めてだったのかもしれない。真っ暗な山道。ひたすら真横を掠めるトラック。そして、漕げども進まない道。ゴールはただただ、五百キロ先に鎮座している。
泣いた。十六歳にして泣いてしまった。辺りは街灯さえなくなり、真っ暗になった。絶望に近い感情が押し寄せる。クルマさえ居ない。静かな、山。いま熊にでも食われたとして、誰も知りやしないだろう。ひたすら漕いだ。怖くて怖くて、たまらなかった。漕ぐしか、なかった。
ふと、坂道が下りになった。視界の先に街灯が見える。人が、住んでいて、生きている。温かいご飯を食べて、風呂に入っている。僕は、ひとりで、極寒の中、ひたすらママチャリを漕いでいる。
シャーッッと山道を一気に駆け下りた。三重県の四日市までたどり着いた。汗が一気に乾く。深夜だった。マクドナルドに入った。ただただ、眠たかった。寝ずに、漕いだ。寝ずに漕いだら名古屋に着いた。感じたことのない眠気が襲った。アドレナリンと奇妙に混ざり合い、身体の輪郭がフルーチェの中でぶよぶよになっていくみたいだった。朝十時くらいだったろうか。人生で初めて来る、名古屋に出会った。気が付けば二百キロ以上漕いでいた。クタクタだった。無機質な名古屋駅をウロついていた。あまりおもしろくなかったからネットカフェに入った。漫画読んでも頭に何も入ってこなかった。寝ようとしても眠れなかった。
ただ、湯気が立つみたいに、ずっとのぼせていた。僕は微熱にうなされていたのだった。
帰りの新幹線で、あのときの感覚を、ビル群を見つめながらふと思い出していた。まだ、この街はゴロっと僕の前にいる。もしかすると、これは名古屋特有のものではなく、どこかに抜け出したくて仕方なかった高校生の頃の湯気が、まだ残っているからなのかもしれない、なんて考える。また来週出張で来るけれど、気分が乗るかといえば、そうでもない。
もしかすると、この都市は苦しい自転車で来るものだと、身体が思い込んでいるのかもしれない。お腹の少ししたのあたりが、ビリリと蠢く感覚。新幹線が駆け抜ける中をレンタカーで走る。世界は動いている。そのことが、なんだかたまらなく嬉しい。