大阪城音楽堂

何かを言葉にするということを、意図的に避けてきた。ちょこまか発散させることで満足してしまいそうになるから。けれど、今日は吐き出さないと、どうにかなりそうだ。

大阪城音楽堂に行った。奇跡みたいな一日だった。ここ最近は、ありえない忙しさに毎日目がぐるぐると回っているし、毎日部長には殺意を覚えている。

大阪の取引先のところに行って、その間にバカみたいに見積依頼がポンポン来て、商談が長引いたからスーツびしょびしょになりながら走って家着いたら、絶賛トラブル中の社長から電話がきた。一旦無視。一瞬でシャワーを浴びて、裸の上に服を乗せながら折り返す。何も想定せずに話したから、切った後に後悔する。ああ、あとあのメールも返さないといけない。どうしよ。けれども時間がない。時刻は18時を回ろうとしていて、つまりは開演まで30分もない。恐らく会社から電話が来るだろうけど、何もかも無視だ。全てを置いて、カバンさえ持たずに家を出た。

けれども重い荷物を背負ったみたいな気分で地下鉄に乗る。大量のことをやり残している。しかし全部置いてきた。どう考えても一人の人間が処理できる量ではない。頭のてっぺんから3本くらい手がニョキニョキ生えてきたら、多分やれるのかもしれない。

森ノ宮駅に着いて、走る。18:20過ぎ。ウケる。てか音楽堂がどこにあるのかわからん、ヤバ、と思っていたら人の流れがすーっと動いている。ここだ。ついていくと、そこは大阪城音楽堂への入り口だった。

***

脳みそがステージと、空気を伝って繋がってるみたいで、ビートで直接ツボを押されているような、そんな感覚になる。目を瞑る。メガネを外す。靴を脱いで裸足になる。ビートが地面を伝って、足の裏から響く。風が吹く。どこか甘い、そんな匂いだ。春。ふと空を見上げてみる。雲がない。kanekoayanoの野音には、雲がない。

ポケットに入っていたモノを途中全部椅子に捨てた。眼鏡は取ったし、靴も脱いだ。素足が固い床に触れる。ただ、何にも縛られたくない。

『グレープフルーツ』が最高だった。こんなに自分の気持ち、つまりは心の中の匂いというか、ふとギュッとなるあの感じを、この鮮度で、言葉と音にできる人が目の前にいるのだ、ということ自体に慄いてしまった。会場の空気の振動が、表情を変えていくカネコアヤノが、喉が震えて固体になっていく言葉が、そこに添えられるメロディー全てが、心の外側を包んでいく。kanekoayanoの内側は襞になっていて、掴まれてしまって離れることができない。身体が透明になって、ぽっかりと穴が空いて周りの空気と同じになっていく。振動と同一になっていく。だんだんと。音が身体に馴染む。会場の全員に馴染む。無機質なコンクリートのステージに、染み込む。空が暗くなって、それぞれが、それぞれの間に溶けていく。

気持ちがいい。脳みそを、37℃のお湯に浸してゆっくりと両手10本の指で解きほぐしていく感覚。自分が何者であるかを、だんだんと忘れていく。時たま思い出していた仕事のことが、全部にごり酒の白っぽい部分みたいに、底に沈んでいった。

後半は記憶があいまいだ。半分夢の中にいるみたいだった。新曲の『石と蝶』が、あまりにも良い。カネコアヤノの神髄だ。後ろ向きなようで力強い歌詞。カネコアヤノの生き方が、彼女の、石のようにゴロっとしていて一切譲ることのない精神が、波打つようなビートに乗って漂う。それはほとんど香りに近いものだ。カネコアヤノそのものが空気になって、音として染み出していく。

 

"わたしが揺れると 鈴の音が鳴る"

 

そう、大抵のことはむずかしい。むずかしいし、変わりたくても変われない。誰かの言うことは聞きたくないし、命令してくるならちゃんと理由が欲しい。自分に嘘ついて愛想を振り撒いたりしたくない。"普通に"生きていると実はこんな単純なことが、できなくなってくる。彼女の音楽は、誰の胸の中にも存在する欠片みたいなものを掬い上げていく。迷うことなく。だからこそ、こんなにも多くの人が、心臓と脚を動かして、生きて、やってくるのかもしれない。生きていることそのものが、響いていく。全てが終わった後でも、残響がずっと胴体の一番膨らんだ部分で、反響している。残ってしまう。どうあがいたって。

お土産みたいに、微振動を携えて大阪城の外堀をずっと眺め続けていた。すぐには日常に戻れそうにない。街の光と、音にまだ馴染めない。遠くでゴウゴウと、またどこかで何かが鳴っている。なんとなく頭の上を流れていく。身体の中に落とし込む。この日を。網膜に焼き付いた彼女のありのままを。いまこの瞬間、ただ時が過ぎていくその瞬間に、見知らぬひとびとが同じ場所で、ただ揺れていたという素晴らしい事実を。生きていく。時が過ぎる。1秒が刻まれていく。その動きの中で、カネコアヤノが歌い、kanekoayanoとして音を鳴らしていて、確かに僕の身体を突き抜けた。この奇跡を、この先も忘れることはないだろう。

(2025.4.18)