暑くなったり(日記| 4/28)

日記を書く。

仙台から飛行機に乗って、友人と飲んだ。お金の管理をする為にダイソーでペンとノートを買う。めっちゃ顔見てくるおっさんが居てすげえ腹が立ったけど、コイツは空気だと思ってやり過ごす。今更気が付いたが、一々他人に腹を立てていたりしたら人生の時間がどんどん減っていく。自分に得が無いのであればさっさと切り替えるのがよい。

仙台ではモーニングに行って、ペンとノートを買い、マクドに行った。今朝改装した店舗らしく、先着70名に景品が渡されるらしかったが、貰えなかった。え〜と思っていたけど、フロアには30人以上いるように思われたので、それはそうか、思う。

椅子が結構快適で、作業が捗るなと思ったのも束の間、ダイソーシャープペンシルは芯がボキボキに折れそしていきなり詰まって何も書けなくなった。購入→故障に至るまで恐らく20分も経っていない。やっすい既製品の恐ろしいライフサイクルを目の当たりにした気分になった。かなりイライラしながら、何も書けなくなったシャープペンシルをとりあえずリュックにしまい、スマホで作業する。計算とか全部自動でやってくれるので、こちらの方が便利だ。表面上悪いことが起きても、それは新たな変化の契機だったりするのだなあ、となんとか、気を取り直す。出費のバランスがおかしなことになっていたので、勘定を細かく分けて、1日あたりの可処分額を設定し直す。なんとか毎日、記録をつけていく。

昨日はkanekoayanoを聴いてしまったわけで、空港でぼんやりとこれからどうしていくか、ということを考える。この、薄い膜に包まれた毎日。生きている実感のなさ。なまじ最初に自営業を味わってしまったのが良くないみたいだ。今の会社に不満はない。驚くほど働きやすい。本当に。こんなに環境と待遇が良い職場は他に見つからないのでは、という気がしてくる。これから労働者としてきちんと生きていく為には、ここでどっしりと腰を据えて、キャリアアップを目指していくべきだ。当たり前だけど。もっとスキルを身に付けて、より待遇と裁量のある場所へ。だが、どうしてもそんな未来に興奮できない。滾るか否かで意思決定をしようとしているのが本当にアホの極みやなと思うだけど、もうこれはどうしようもないことだ。もっと色んな人に出会いたいし、もっと自分の頭で動きたいし、そして世界の輪郭にリアルに触れたい。仮に会社組織の中で裁量を得たとしても、それはその枠内のみでの話だし、ずっとそのことに違和感を覚えていた。違うんだよな。それじゃない、欲しいのはもっと新鮮で眩しいものだ。

きちんと働き始めてはや2年が経過しようとしている。あまりにも早い。まず、組織はいいものだ。心が安定する。楽しい。ひとりじゃできないことが沢山できるのも良い。全体リソースを利用して、個人の力を超えたことを成し遂げることができる。人と一緒に何かをするのは、本当にいいものだ。けれど、それは単なるシステムの一員としての安定感に過ぎず、やはり、もっと単純に言うと俺はより刺激が欲しくてたまらないのだと思う。そして、それはベンチャーとかに転職して得られるものではなく、多分一旦自分ひとりで飛び出してみないと手に入らないのだ。時間は有限だし、まだ20代なので実現したい生き方があるのなら、早いに越したことはない。別にそれはやり直しが効くから、とかそういうのではなく、どうせそうなってしまうのであれば早い方が幸福の総量は大きくなるからだ。

23歳で飲食店を始めたけど、あの恐ろしいほどの向こう見ずな勢いは流石にもう無い。そして、若いとやり直しが効くというのも事実で、実際俺はまたやり直そうとしている。間に2年挟んでもまだ20代だ。色んなことがあり、また違う人間になった。そして、出口を決めてしまおうと思った。俺は修行とかいう概念が全く受け入れられないタイプで、思い立ったことは2秒後には実行に移したい。また、勉強というものは原理的にいくらでも継続可能なので、それを意識的にどこかで断ち切る必要がある。あと追い込まれないと力が出ないというのもある。前からぼんやりと考えていたけれど、1月末で会社をやめることにした。一連の意思決定は仙台国際空港国内線出発ロビーで行ったものであり、そしてなんだかスッと腹に落ちる感覚になった。そう、別に大それた夢を実現しようとかそういうのでは全くなく、なんだか俺にはこうするしかないのだ、ということをただ単純に分からされたのだなということであって。今はまだギリギリ軽く動ける。ここで一気にいくしかない。前は勢いしかなかったけど、今はもっと上手くやれる自信がある。

多分、というか確信的な話だけれど、kanekoayanoのライブに行って、そこの音がもう響き渡ってどうしようもなくなってしまったのだ。『WALTZ』の最初の轟音が血液みたいに身体を巡っている。

俺は、音楽そのものに感動したことは数多あれ、初めて音源で聴いて涙まで流したことが今まで無かった。けれども、リリースしてすぐに聴いた『石と蝶』によって、頭の中からじっくりと絞り出されるみたいにして涙が溢れ出てしまった。色んなことがありながら、なんとか今の場所までたどり着いたカネコアヤノに俺はどうしようもなく吸い寄せられている。その生き様と魂が全部音になって出てきてしまっているという事実の持つ凄まじさ。『石の糸』が出たという事実そのものに、この世が持つ喜びが詰まっている。俺は、心底そう思う。

変化はふとした瞬間にやってくる。風が吹く、とも言えるもの。今確かに、流れている。怖い。けれど、ただ進むしかない。大事なのは、自分がどう思うか。本当に単純に、ただそれだけなのだ。(4/28)