色がない

世界から離れている。何も背負っていない。しょっていると思っていたものは、全部空気だった。どこへでも行けるし、どんなやり方でも飛べる。今はその感覚だけが、身体を真っ直ぐに駆け巡っている。

自分がやりたいようにやればいい。「とはいえ」という留保は原理的にいくらでも生成可能なものだ。こうあらねばならない、という焦げを、一つづつ丁寧に剥がしていく。もっとシンプルに。自分の中だけに空気が流れている。これは、不思議な感覚だ。体験しないとわからない。世界から取り残されているわけでもなければ、独りよがりでもなくて、孤独もない。ただ、純粋に周りがさらさらと流れていて、僕はその流れをただ見つめている。右足が動きたいと言えばそのまま突き出し、大きく息を吸いたいと思えば肺を膨らませる。当たり前だけど。当たり前だけど、今の世の中じゃ、そんな当たり前を本当の意味では、実践できない。焦げ、垢、そんなものがまとわりついてくる。全てを、丁寧に剥がす。それにどれだけ時間が必要になるかは、わからない。俺は2年かかった。ある日目が覚めて昼ごはんを食べて歩いて家に帰ってふ、とひと息ついた瞬間に、「別にもう、大丈夫なんだろうな。」という感覚が急によぎって、そこから、ただ生きている。真水が流れている。色のしない空気を吸い続けている。甘さのないスープを飲み続ける。ただ、そんな風にして過ごしている。一念発起とか、頑張るとか、やりたいことやろうぜ!とか、デカく夢追おうよ、とか、外からの主語と述語が、ごっそり削ぎ落とされた。

後に残ったのは、透明な幹だけだった。スッと立っているだけの、ただの棒だ。