京都の穴

五年が経った。いや、五年以上だ。河原町今出川寺町通。久々に通った。家の前のコインパーキングはピカピカの豪邸に生まれ変わっていた。タバコ屋の隣の喫茶店は、看板はそのまま、借り手を募集する張り紙が、貼られていた。

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身体に、穴が空いている。その分軽くなった。パチンコ屋はぽっかりと無くなっていて、いつのまにか勝手にバイクを停めていた駐車場も消えている。時間は、客観的には経過している。けれど、身体のリズムはあまり変わっていない。ずっとこのままなのに、周りだけが変化している。

怪しかったスケボー屋も、消えていた。

懐かしい、とも違う。寂しい訳でも、感傷的とも違う。ただ変わった。穴が空いている。

ファミリーマートの前に小さいパトカーが停まっていた。ビールを買おうと思ったら欲しいのがなくて、妥協として一番搾りを買った。

新町キャンパスから徒歩三十秒の木造アパートに住んでいたときと、全く同じ味だ。その頃はカネもなかったくせに、ひたすら一番搾りを飲んでいた。ビールの中から、畳の匂いがする。

時間が経つ、変わることについて考える。まだ、自分の中で色んなことの時間が経ち"切って"はいない。ステンドグラスが、ひたすらに綺麗だった。時間がまだ経っていないように思う。

どこから声が出ているのかと思う。あんなに大きな声が。今日は度肝を抜かれる、という形ではなかった。ただ、この、京都という街で会えてよかった。その気持ちだけだ。指の先、爪先まで震える。でっかい声がカタマリとしてこちらに迫ってくる。それがただ、嬉しい。あの音楽を聴いたあと、すぐ京都御所に居られることが嬉しい。のんびりと歩けることが嬉しい。カネコアヤノの音楽で、京都の色々がふるい落とされた、そんな感覚だ。

色んな言葉を尽くしてきたし、あの手この手で言い表そうとすることはできる。でも、これは単純な話で、あなたの音楽を聴いたあとは、シンプルに生きているっていいなと思える。もう、これが全てだ。こんな気持ちになれる奇跡をただ胸にしまって、僕は色々と変わってしまった京都を、なんと今までみたくベタベタ後ろ髪を引かれるような思いをせずに、本当の意味で軽やかに歩くことができた。

京都に来てくれてありがとう。そして歌ってくれてありがとう。まだ、髪の毛が少し揺れて逆立っているみたいだ。音が血の中に巡って、心臓の刻むビートが少し変わっている。

ひたすらに、身体が軽い。

(2025.7.21)

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