眠たくて頭が回らない。けれど、書く。何もまとまっていないけれど、書く。なぜなら、そうするしかないから。
ヒリつく身体の感覚について記す。久しぶりの感覚だ。
フジロックに行った。脳味噌がグルグル回る夢みたいな時間だった。ずいぶん長い間忘れてしまっていた、この感覚。日常が非日常に接続されて広がっていって、手のひらの薄い皮膚がチリチリと焦げつくこの感じ。
意味不明さ、混沌、刺激。身体から魂のみが抜け出してどこかへ行ってしまいそうになる。長い間わすれていた、熱。それがフジロックにはあった。シンプルな謎と、単なる人間の欲求だけが渦巻く祝祭空間。そりゃ、こんなアクセスの悪い山奥に何万人もの人が毎年毎年やってくるわけだ。ハンパなく最高だった。ただ単に楽しい、とかじゃなくて、まわりの音が少し遠くなるような、微熱にうなされる中で見る、ぼんやりとした夢。そしてこのおぼろげなバッキバキの楽しさこそが生きていることの喜びだなと思う。ほんとうに、どう言い表していいのか分からないくらい最高でしたありがとうございました。
どうして、こんなにカネコアヤノの音楽に惹かれているのか、という話をする。結論、わからない。なぜここまで聴いてしまうのか。ライブで何度も目撃したくなるのか。わからない。ただ、魂がカンペキに吸い寄せられていることだけは分かる。そうなってしまっている。歌詞、ロックさ、言語センス、そりゃもちろん色々と理由は挙げられる。けれど、もっと他の理由があって、これを言うのは怖いし、敢えて踏み込んで言うと、カネコアヤノは俺の欲している音そのものを出しているのだ。
俺がずっと求めていたもの、とにかく欲しかったビート、歪み、言葉、魂、熱、破壊衝動、ナメんなよっていうキレ方、悪態、雑さ、全部全部おれが出したくてどうしようもなかった渦みたいなものそのものが、アンプを伝って俺の身体をずっと震わせて仕方がない!ずっとずっと、ビリビリ指の先どころか髪の毛のてっぺん、血管を巡る血小板の先っちょまで彼女の音が巡って仕方がねえ!どうしようもなくずっと波打っていて、それが俺の心臓のビートとリンクして、ずっとずっと身体を巡って気が狂いそうだ!ありえない深さで沈んでいって、どうしようもない速さで追いかけてしまう、けれど、これは好きとかそういうのじゃなくて、何かを求めているのか何もわからなくて、ただ、でもどうしたって目撃してしまう!
欲している音そのものがそこにあって、俺そのものが喉を伝って出てきている。俺がツバ吐いて悪態をつきたかった仕方そのままでピックを突き立てているから。歌詞に使われる日本語センスの卓抜さだとか、実はすげえ中指立てているスビリッツを分析したりサウンドの素晴らしさを言祝ぐことは、できる。けれど、大事なのはそうじゃなくてただ俺の肉体に、魂に、つまり命そのものに不可逆的に突き刺さっているという事実だけだ。
ライブ中、思い出すことのなかった幼少期の記憶だとかが蘇ってくることがよくある。カネコを鏡にして、存在そのものと対話をしている。自分を写して、求めていた音と言葉を再輸入している。再帰性。自己投影。まだ、うまく言葉にできない。音楽もさることながら、彼女の存在の重力そのものに吸い寄せられている。周りをグルグルまわって、単純に落ち続けている。俺はその謎を解く為に、干渉しあって混沌の中に生成される渦を見つめたいのかもしれない。人間が同じ場所にいる、それだけでそれは奇跡へと一段と近くなるのであって、つまり個々から出る波長が合わさってとんでもないことになるということだ。めちゃくちゃカッコいいしサウンドも言葉も何もかも好きだ。けど、やっぱりそれだけじゃない。いつも、ライブが終わったあとは爽快な気分になるとかではなく、身体が震えたりはするけれど、やっぱり普段じゃあり得ない深さで、沈んでいってしまう。ズン、と強制的に足腰が地面に叩きつけられる。おおざっぱに言うと、苦しい。とても苦しい。
ステージの上に同じものを見ている。自分以外から自分が発せられる奇跡に居合わせ続けている。鼓動する肉体同士から発せられる波と、その身体が動いて増幅されて出てくる音。全部が、自分と他人と他人のはずの自分が全部が全部、全部全部混ざり合う。空間が磁石で歪められる。人生も物の見方も、日常も考えてることも全部カーキー色に濁って混ざって消えて生まれて曲がって沈んでいく。
そして、もしかするとだけど、自分がどう在りたいのか、それが決まると少し遠くなっていくのかもしれない。
俺はずっと問い続けている。
この音の正体は、いったい何なんだ?
