日記(7/24)

午前起床。昼から某モティーにてバイクの売買。思えば買ったのは去年の9月だった。電車に乗ってダイヤに縛られるのが嫌になって、5万円というありえない安さで買ったバイク。でもこいつは100ccのスクーター。おれ中型二輪免許持ってるのにな…400ccまで乗れるのに…。一回の夏、山奥でオカルトチックな合宿免許に参加して取ったバイクの免許。教習前には「私は風になる!私は・・・」みたいな始まり方をする「バイクに乗って人馬一体となるのはとことん素晴らしい」ことを謳った詩を大声で天に向かって朗読させられたな。しかも毎回。でも教官はすごくいいひとたちで、元気なバイク乗りの兄ちゃんって感じだった。おれもいつかはああいう風に…………なれないな。

 

実際にバイクを見てから取引したいとのことだったのでエンジンかけてあげる。前日の夜にガソリン満タンにした甲斐もあってアイドリングはすこぶる快調。相手は会社員で、400と125持ってたらしいけど125を手放したらしい。しかもCG125。いいなあ。MT乗りたいけど正直クラッチ操作なんて忘れたし怖くて乗れない。でもこのままだとずっと乗れないままだしいつかは一歩踏み出さないとねえ。ま、一応は契約成立して書類渡してお金貰う。てっきり封筒に入ってやってくるものだと思っていたから現金ナマで渡されたときはちょっとビビッたな。個人売買って感じでよい。

 

バイク触る度に思う。

 

原動機、愛でしかない。

 

どこかに移動しようと思えば歩くのが基本だ。でも歩くのは疲れるから自転車なんてものがあったりする。漕ぐと進む。すいすい。でも脚は疲れるよな。バス、電車。楽ね。でも、こちらが相手に合わせなきゃだしなんか疲れる。時間にも縛られる。

 

全てを解決するのが原動機だ。おまえの足の下で振動しまくるそれは、脳ミソじゃ許容できない。風と一体だとか、自由だとか、どうでもいい。そんなんじゃない。ただ、股の下に置かれた、100年以上の歴史を誇る原動機は、単純極まりない機構で、おまえが人間として活動しなくとも、脚を動かして動力を生まなくとも、推力を生み、延々と進む。人間性の去勢。動かなくとも動く。止まっているだけで移動する。乗っているおれは人間なのに意志に反してどこまでも速く、遠く、連れ去られる。ただ為す術なく連れ去られる。

 

それが最高におもしろい。エンジンによって人はどこまでも連れ去られる。移動、速度、時間、自由、風、一体、魔法の絨毯…よく魅力として語られる。でもそれは全部おまえの感覚だ。おまえの感覚なんてどうでもよくて、単純動作の繰り返しで轟音鳴らしてヒトが食えない油食ってただひたすら動き”まくる”原動機がおまえをどこまでも終着なく拉致し続けることこそが尊い。それだけが至高。 原動機、愛。

 

カネでも貯めてMTバイク買うか。

(7/24)