老婆の鞄から茶がこぼれた

駅のイスに座っていた。TOEICの問題集を解く。あまりにも、つまらない。砂の上でペンを走らせているみたいだ。書きつけることはできない。最初はくっきりとしていた輪郭は、曖昧になる。埋まっていく。

丸テーブル、イス、イス、イスという配置だ。ふと、老婆が俺の隣に座った。座って、ペットボトルで茶を飲み始めた。いや、俺は気にもとめていなかったのだけれど、「ビチャ」という音で老婆が何かを飲んでいたらしいことに気付いた。ビチャ、と音を立てて液体が散らばる。床に散らばったあとの汁たちに目をやる。俺は飲んだ瞬間、こぼした瞬間をはっきりとは目撃していないのたが、鞄の中から直接液体が放出されたようにも思える。ひとまず、老婆は水筒さえも鞄の中にしまったようであり、平然とスマホをいじっている。

しかし、床には茶が転がっている。液体として。ベト、と。誰もしらない。誰も、鞄からビチャと何かが出てきたことを知らない。電車がダイヤ通りに運行されている。俺だけが、この液体のことを気にしている。茶、なのかさえわからない。よく見ると長いネギが落ちている。元からネギがあったところに茶が落ちたのか、ネギと共に茶がやってきたのか。日常。駅。普通の毎日。その中でビチャリと音を立てるもの。その音を聴くたびに、俺はほくそ笑んでしまう。

「コミュ力」を持て囃しても仕方がない

コミュニケーション能力が大切だとお題目のように、教育現場でも唱えられたりする。そうした能力が高い人をコミュ力お化けと呼称したりもする。特に若者の間では。

なんだか、しょうもないなあと思う。社会全体で、そんな能力を持て囃したって仕方がない。もっと言うと、無意味でさえあるなと思う。

例えば。場を盛り上げたりする、ムードメーカー。確かに楽しい。コミュニケーション能力が高いと言えそうだ。あとは、組織内での調整能力が高い人。これもコミュ力、あり、といった風情だ。あとは営業が得意な人。セールストークに長けており、モノをバンバン売れる人。言わずもがな、といった風情がある。そして、俺も割とその傾向がある。得意ではないが、できないこともない。そしてたまにハマったりする。気持ちもいい。

でも、なんだか虚しい。たしかに、政治が上手いのはすごいことだ。出世もできそうだ。細かいところに目が届き、相手の気持ちを汲み取り気持ちよくさせることができる。だけど、なんだか虚しい。そんなことができたところで何になる?おべっかを使って褒められて、用意された役職に就く。だからどうしたのだろうか。

話が上手い人。声が大きくて、機転が効いて。おもしろい人、とはまた違うのがミソだ。おもしろくはない、というのがミソだ。でも口がよく回り、なんだか場を支配する力を持っている。これもまた虚しい。だからどうした?口が回って世界は変わるのか?多分、革命を起こすのはペラペラ喋る奴ではなく、黙って黙々と木の枝を削ったりする、そんな奴だ。

世渡りをそつなくして、あまり多く敵は作らず、うまく喋れる。何度も言うが、俗にイメージされるコミュ力に価値なんて無いと思う。それだけがあっても世界は変えられない。新しいモノなんてなおさら生み出すことができない。敢えて言うとすれば、どれだけ自分の魂から言葉を絞り出せるか、だ。飲み会で隅っこで黙々と枝豆を食っていて、帰りにポロっと、自分の肉体を内側から抉り出せたりする奴の方がよっぽど輝いている。世界に放つ閃光だ。

異論は認めないが、人生ひとそれぞれとかバカなことグダグダ言っていないで、俺たちはさっさと世界を変える必要がある。それは、革命とは違う。社会保障制度を改革するとか、貧困をなくすことも大切なのだが、何よりも、世界に俺たちが存在しているということ、この恐ろしい事実を、全てを振り絞って刻みつけることだ。それをするためには、例えばペラペラ喋ったり、嫌な奴ともうまいことやっていったり、上司に可愛がられたりする必要もあるだろう。だが、それで「コミュ力がある=すごい」なんていうバカな自惚れに浸っていてはいけない。ただ空気が読めて口が回ったとしても、それは虚しさの無限回転であり、その先を見据えないといけない。そして、もっと世の大人たちは、気を遣えなくて人と喋れなくて社交性が無い、と言われる人々が持つ輝きに目を向けなければならない。俺は怒っている。高速で声帯を震わせて内容のないことを喋って副作用的に相手を気持ち良くさせる人間像を褒め称えるのではなく、もっと深く人間存在について考え、そしてより他者に対してのめり込めるような、そういう人間を増やしていく必要がある。相手の魂の中の石ころを拾いに行く姿勢を持っていること。これこそが本当のコミュ力でる、とここでは結論付けよう。話づらさとか、暗さとか、そういったもののみで人を判断する奴らは救いようのないバカである。上っ面で気持ちよくなれないと人と付き合えないのは、幼稚を通り越してもはや恐怖だ。

ラディカルに考え、魂に向き合う。そこから本来の社交が始まる。

誰かの言うこと聞きたくない

ヤバい、あまりにも人の言うことを聞きたくない。

もう尋常じゃない。いや、できる。愛想良くできる。イキらずに立ち振る舞える。でも、息苦しさがハンパじゃない。

フルタイムで働いていると、全然頭が回らなくなる。本はギリ読めるけど、ぼんやりとした考えとか、ああでもありこうでもあり、みたいな絶妙なバランス感覚が全部終了していく。

ヤバい!そういうのが失われたら、ヤバい!何がヤバいって、全然楽しくない!そして、一生サラリーマンをやるなんてことは天地がひっくり返ってもっぺん世界が再生してマクドだけ残して残り全部またひっくり返って元にマクドだけ残しても、無理だ!ヤバい!この、ジワジワと蝕まれていく、エゲツない感覚。

いや、予定とタスク入れ過ぎ、わかる。でも集中力も持続力もない!ヤバい!なんか色々ヤバい!「克己!努力!一筋!下積み!」みたいなのも全くもうダメかもわかんない。ヤバい!バイパスルートしか考えられない。いかにズラすか、みたいなとこしか思いつかない!全然カネになんない!ヤバい!

 

ヤバい!抗えるのはなんとかしてこういうのを書くことだ、爪だけは引っかけたることや!

 

暴れて、辞める!無理だ!

 

人の言うことが!!

 

全然!!

 

 

 

聞きたくない!!!!

 

 

 

ライブに行っても記憶がない

ライブに行ってもあんまし覚えていないな。なんことに気がついたのは、カネコアヤノのビルボードライブの音源を聴いているときだった。

十二月に大阪で行われたビルボードライブ。その場に俺は居合わせており、確かにハンバーガーを食いながら一人で聴いていた。だけど、その時の音源をApple Musicで聴き直していると、本当にその場に居合わせたのか、という錯覚を覚える。そう、俺にはあまりライブの記憶というものが、ないのだ。

確かに、曲の感触は記憶にある。場所の雰囲気も覚えている。だけど、なんだか夢見心地というか、その場に自分の魂が本当に存在していたのかどうな、あやしい。ライブを聞いてきるときは、どこか自分の本体が飛んでいってしまっているような感覚がある。聴いている。音を浴びている。いるのだけれど、その場の臨場感だとか、そういったものは全く思い出せない。いや、ゾワッとした感情を欠片として持ち合わせていたりはするのだけれど、やっぱりどう思い返してもその現場に居合わせたのかどうかが、確信が持てない。

そもそも、アーティストのライブを聴く、という行為は不思議だなと思う。日常的にご飯を食べたり、旅行に行ったりするのとはまた違う。ただ、全てを剥き出しにしている人間からの発露を、浴びるだけ。突っ立ったり座ったりしてひたすら浴びる。不思議だ。そこでセッションを始めたり、市場調査を行ったりするわけでもない。ただ、聴いているのだ。ヘンテコな感じさえする。それは娯楽のため?本人が好きだから会いに行くため?おれも、理由はまあ好きだし、求めているし、と言えなくもないが、それが芯を食ったものなのかと問われると、困ってしまう。

そもそも、行動に理由なんてない気がしてきた。シナプスがビュッと出て、身体が動き、後から「まあこんなもんやろ」という風に納得している。話は変わるが昨日は地球ドラマチックを見た。蜂のドキュメンタリーだったのだけれど、誰に教えられるわけでもなく蜂は蜜を運んで、巣を作ったりするわけだ。ま、ああいうのを見ると、理性を信じて、「本質」だとかを真剣に議論している人間がバカらしくなってくる。ま、なんだか流れているのだ。それはそう、だからそうなっているのであり、まあなんとなく動いたりしてたまに言語化して、またノリでいろんなものを食ったりする。ライブに行くのもその一環であり、頭の中を音が駆け抜けたことがあるという太古の記憶が、ほぼ知覚されずに残っていく。全てはあやふやであり、カチッとはしておらず、ゆえによくよく考えると覚えていないなんてことは、たくさんあるのだろう。

なんだか久しぶりに何もとりとめのない感じになってしまった。まあ、僕は自分の人生全般に対して現実感がない状況がずっと続いており、何もかもを薄い膜越しに知覚している。みんなもそうなのかはわからない。ライブの記憶があんまり残らないのは正直悲しいけど、でもずっとそれが鮮やかに鳴り響くのも、なんだか健康ではないのかもしれない。断片が残ったり、残らなかったりする。生きて世界に触れるとはそういう行為であり、あまりに気に病む必要はないのかもしれない。とりあえず、また月末にチケットを取った。楽しみだ。

京都は夢の国だ

今日は用事があって京都に行った。人と会ったりするために。出町柳からバスに乗って歩いたり、自転車を借りて京都駅まで漕いだ。

断言する。京都は夢の国だ。

ミニチュアのような路地。歴史を優しくサンドして立ち並ぶ街屋たち。祇園の煌びやかさ。鴨川には若者がたむろして、酒を飲んだりぶっ倒れている。その上では川床でボウっと外を見つめる外国人。高瀬川は何食わぬ顔でそこらを流れており、ちょっと歩くと夜の街のボーイ達がそぞろ歩く。

街の真ん中を川が流れ、そこに"雑多に"人々が群れていく。そして、外国の人も適当に群れる。そこらへんに座っていたりして、ぶらぶら散歩している。それが、さらに浮かないのが物凄い。抱擁している。包み込んでいる。

混沌とも猥雑さとも違う。京都には、喧騒がある。ただいろんな人々が、どっしりとした歴史のうえで"ただ歩くことができる"という、奇跡。人類の混ざり合いの快楽の原体験が、ここにはある。井戸と鳥居と戦没碑が並ぶ狭い公園の中を、外国人の子供が砂遊びをしている。お地蔵さんがある家の奥には茶室があり和気藹々と主婦がお茶を点て、大学ではうだつの上がらない大学生がただ時間を浪費する。

この小さな箱庭は、その狭さゆえに全てを包み込む。いや、包むのではなく、ただ、置いておくことができる。ただ単に並列させられている。

僕は京都に住んでいたとき、箱庭のようだと思っていた。歴史と、多様性と、落ち着きと、喧騒と、そして理想を全て圧縮して詰め込んだ、ミニチュアのような街だと。そしてその想いは、京都を離れた今こそ、より強く感じられるのだ。

結構長いこと京都には居た。何年も住んだ。ここはヤバい、離れないと、なんだか大変なことになりそうだ。冗談ではなく、そういう想いを胸に、京都を出た。そして、今日自転車で鴨川を下り、四条大橋を渡っているときにこう思ったのだ。つい一年前まで住んでいたくせに。

 

「夢みたいだ!」

 

無職適性

無職になるには才能がいる。悠々自適に無職になれる人間と、毎日激しい後悔をしながら無職になる人間の二種類がいる。俺は後者だった。去年の7月に無職になった。じつは結構、楽しみだった。何もしがらみがなく、ただ自由に、やりたいことを好きなだけやれる。色んな可能性が開ける。そう思い込んでいた。

そんなことはなかった。無職になった次の日から、毎日胸の中に得体の知れない、真っ黒なゼリーがせりあがってくるかのような感覚を覚えた。口の中はパサパサに乾燥していて、いっつも味がしない。無職になったその日に、俺は沖縄に行った。でも、慶良間諸島の深く青いブルーの海や、華々しく咲き誇るハイビスカスや、カンカンに陽気な那覇の街並みたちは、全部浮いていた。浮いている南国と、よくわからないこの時間との狭間を、つるんとした時空を、ただひとりで歩いている。そんな毎日だった。

何も決まっておらず、かつ何をやってもよく、かつそこそこ若くはなく、かつおそらくここまで自由なのはこれがラストチャンスである、という状況は、俺をじわじわと圧迫していった。とにかく、全てが浮いていた。浮かんでいた。

いま、そんな9ヶ月にも及ぶ無職期間(途中契約社員として働いたりはしていたが)を経て、正社員として働いている。まだ研修が終わった段階なんだけれど、正直ダルいなという感慨しかない。(注:この文章を書いたのは4月末。そこからこの会社は退職し、転職活動を経て現在は一時的な無職。)

そこはかとなく慣れていき、まあまあ楽しくなっていくのだろうけれど。あの無職の間をもっとうまく、有意義に、より楽しく過ごせたのではないかという後悔は、ある。

だが、まあハッピーな無職ってのもそれはそれでどうなのか、という感じがしないでもないし、まあ暗くてじめっぽくてちょうどいいのかもしれない。ひたすら下を向いていた時間はもったいないと思ってしまうが、よく考えるとみんな下を向いていないフリをするために、毎日働いたりなんか頑張ってみたり、「成長」とか言ってたりするのであって、それって何かをしているだけの無職にたぶん違いないんじゃないか、とも思う。

思い返すと大学は浪人したし、入ってからも休学とかしたし、卒業してすぐには就職しなかったし、全部迂回しかしていない。ま、そこらへんは後悔してないんだけど、やっぱり謎の無職期間は本当に後悔がエグい。このエグさが全然消化できない。あれは何かの為になった時間なのか…?ウーン、わからない。なんだか、ぐっちゃぐちゃだった2023年を清算していくために、残りの20代を過ごしていくような気がする。なんともならなかった、膨らませたビニール袋みたいな時間に、色を付けるための残り時間。そんな感じだ。

と、まあまだ1年も経っていないのは正直おもしろい。永遠に続くかと思われたあの時間も、振り返れば1年にも満たないという凄まじさ。そう、意外と、駆り立てられなくたって、のんびり過ごせばいいのだなと思う。結果を求めて、何も無駄にしないように力むと、全部が零れ落ちてしまう。ただ、息をするのと同じように、淡々と過ごす。実は、俺は20代半ばを過ぎても、自分がどうやって息を吸えばいいのかがよくわかっていなかったのだと思う。この文章の前半は4月末に書き、この段落は転職が成功したいま、書いている。このゴタゴタの中で、やはり、人間やれることしかやれないのだということを嫌というほどに悟った。わかってしまった。というか、俺が特にそうで、そうじゃなかったら新卒で入った会社を5月にやめたりなんかしていない。(残業時間が100時間超える人がいたり、安全帯なしで数十メートルの高所で作業させられたり、事故が5件立て続けに起きていたり、という要素は措いておく。)

いま、ここ数年で出会った人と新しいことをやろうとしている。何度も失敗を繰り返してきた仲間であるわけだが、今回は違う。なんだかやれる。正確に言うと、続けられる。なぜなら、これは俺がやれることだからだ。背伸びは、まあいい。もしかするとあの色のない日々は、自分の型を取っていた時間なのかもしれない。まだ、肯定はできないけど。

ただ、やれることをやる。淡々と。息吸って歩くみたいに。透明に、やる。

イラクのバグダッドに、演劇を観に行った①

バグダッドタハリール広場でさ、演劇やってんねやて。見に行こうや。」

 

確かあれは五年前の夏、京都の鴨川沿い、とある一軒家にて先輩が言い放った一言だった。

 

「いいすよ。行きましょう。」

 

あまりにも無邪気に言われたので、こう無邪気に返した。近所のラーメン屋に行くかのような空気感で、バグダッドに行こうと、それも青年の演劇を見に行こうと誘われる。遠いイラクバグダッドへ。演劇を観に行く。

 

その不条理さ、生々しさになんだか吸い込まれるように、二つ返事でOKしてしまった。

 

そして、2023年8月。おれはカイロ国際空港に立っていた。

 

ほとんど人がいない。出国ロビーに出ると、すかさずおっさんが近寄ってくる。ヘイ、ミスター!ピラミッドはどうだ?見飽きた客引きのパターンに一種の安堵感を覚えながらも、適当にあしらいトイレへと駆け込む。カイロに着いた途端腹が痛くなった。下痢だ。いきなりなぜ。

 

というか、なぜおれはいまカイロにいる?

 

遡ること3日。中国にいたおれはとある航空会社と大口論になった。口論、というより執拗なメールのやり取りを延々と続けていた。

色々とあり中国での滞在が延びたため、俺はバグダッド行きのチケットを中国で取り直すことにした。しかし、どうやっても取れない。ネット決済が弾かれる。海外からだとクレジットカードでの決済が失敗する、というのは有名な話かもしれないが、例に漏れず俺も該当してしまったわけだ。そこでムキになってしまい、何回も何回も予約にトライしては失敗し、ついぞデビットカードで決済成功となったのだが、不審に思った航空会社により「パスポートやその他書類を提出しないと予約を取り消す。」とのメールが送られてきた。慌てた俺は20通以上もカスタマーサポートとメールをやり取りし、最後には圧で「買ったのは俺本人だ!」と文面で捲し立てることによりなんとか航空券を取り消される最悪の事態は回避したのである。全ては気合いである。気合いと運だけがモノを言う。

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さて、所用により中国の大連に滞在していたおれは、まず鉄道で瀋陽(しんよう)に渡り、そこから飛行機で杭州(上海の近く)へ行き、それから国際線でカタールに向かい、乗り換えたのちようやくバグダッドへ到着するという算段であった。先輩は日本からベトナム経由でインドへ行き、そこからバグダッドへ入る。我々は8/23の午後6時にバグダッド国際空港で合流する。

そのはずだった。

しかし、大阪の梅田で待ち合わせをすることでさえ困難なのに、海外で、それもイラクバグダッドで現地集合など本当に可能なのだろうか?そして、俺の不安は見事に的中する。

☆☆☆

朝、所用により滞在していた大連からタクシーに乗り高速鉄道駅へ。パスポートをかざし、厳重な保安検査をパスする。そこから瀋陽桃仙国際空港へ。意気揚々とチェックインし保安検査やらをパスし、出発ロビーにてあとは飛行機を待つのみ。

 

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搭乗口に不穏な掲示が張り付く。

 

要約すると「遅延する!」とのこと。遅延確定。雲行きが一気に怪しくなった。しかし、杭州では待ち時間は3時間ある。少々遅延したくらいではどうってことはないはずだ。最悪90分前に着いたとしても、急げば間に合うだろう。

 

瀋陽(中国)

杭州(中国)〜3時間の待ち時間〜

ドーハ(カタール)〜4時間の待ち時間〜

バグダッド(イラク)

 

なんとかなる。一旦、先輩もとい相棒である吉村(仮名)に電話をして気を紛らわせることにした。

 

「もしもし。なんかこっち1時間遅れそうですわ笑 ビザ大丈夫でした?」

「いやーも散々やったわ…。」

 

(前日譚)

我々は、出発段階で数多くの災難に見舞われた。

そもそも、チケットが発券されたのは出発予定日前日夜だ。それまでは、俺が飛行機に乗れるかさえ不確実であったわけで、不安を紛らわせるために吉村とはLINEのやり取りを繰り返していた。

「クレカ弾かれまくって全然チケット取れないヤバい」「よっしゃチケット取れた!」「まってキャンセルされるかも」「サポートとバトってるけど全然ダメ」「ガチで祈るしかない(出発予定2日前)」「もはや今が一番演劇みたいかもしれない」「イラク1人で行ってもらうことになるかもマジですんません」「あと35時間以内に全てが決まる…」といった情報過多なLINEを送っていた。そして、チケット取れることが確定し、

 

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アツいLINEを送った。

このときは本当に心の底から嬉しかった。諦めなければ全ては叶うのだと信じていた。全てはなんとかなる!だが、何もかも順調に事が進むわけではない。俺が瀋陽の空港に向かっているときにLINEが来た。

 

↓翌日のLINE

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ビザ取ってなかったっぽい。マジかよ。

しかし、なんとか飛行機のチケットを取り直し、結局なんとかなったらしい。

 

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その後、遅延が確定したおれは、このぐちゃぐちゃ感を共有するために電話をしたという流れだ。

 

吉村「インドのアライバルビザ(事前申請不要なビザ)で職員がノリで拒絶したりなんやかんやあったもののなんとか発給された(疲労困憊)」

おれ「俺の方もいま遅延してる。初っ端から波瀾万丈すぎる」

 

などとお互いの苦境を話し合った。そして最後は「では、バグダッドで会おう!」というシメで電話を終えた。

 

まったく散々な始まりだ。吉村のビザがどうにかなったのは良かったが、こちらはまだ遅延中だ。しかし、まだ乗り換え時間の余地は2時間残されているし、なんとかなるだろう。俺はチケットを必死に取って勝手にキャンセルされかけ、バトって前日夜に予約が確定するという幸運に恵まれたわけだし、吉村もビザを取り忘れるという大失態を犯したもののまた飛行機を取り直し、チケ代も謎に返金されアライバルビザ取得というアクロバット出国を成し遂げたのだ。俺たちは何だって乗り越えられる。この流れで、なんとかなる。そう信じていた。

 

 

結論、飛行機は見事に3時間以上遅延し、何ともならなかった。俺はカタール行きの飛行機が5分後に出発する、杭州蕭山国際空港のロビーで、ただ茫然としていた。

 

 

出国審査はおろか、荷物のチェックインさえできていない。俺は国際線出発5分前に、初めて空港に着いたのだった。

 

絶望だ。時刻は、深夜0時を回っていた。

(つづく)