森、道、市場2024 ーカネコアヤノー

カネコアヤノのことを知ったのは、たしか2019年の夏だ。イラン留学から帰ってきて、冷房の効いた部屋で適当にYouTubeを流し見ていた。そこで、2018年の「森道』でのカネコアヤノのライブ映像を観たのが、初めてだった。

最初はちょっとイケ好かないと思っていた。この、ふんわりした感じ。ケ、ハマってたまるか。こんなん俺の好みど真ん中やけど、好きになんねえし。とか思いつつ、もっぺん動画を見る。ふむ。もっぺん観る。ふむふむ。いやあなるほど。もう一度…。気がつけば、ずっとフルで繰り返し試聴して、すっかり虜になっていた。なんとなくイケすかない感じに思っていたのは、あまりにも好みドストライクすぎて、謎の防御機制が働いていたのだと思う。

そこから、まあライブに行きCDを買いレコード買い東京の野音に行き武道館行きビルボードに行きやらで、とにかく聴きまくった。カネコアヤノの音楽は俺の肌にピタッと張り付くのだ。何もかもが心地が良い。俺が求めていた音がそこにある。俺が聴きたいと思っていた塊がある。前頭前野にぶち込みたいとまさに思っていた言葉の羅列が、くっついて離れない詞が、全てがある。

だから、今日は感慨深かった。初めてカネコを知った「森、道、市場」に参加して、生で聴くのか。そんな、感慨に浸ったしていた。

 

 

 

 

 

 

ライブが終わった。浮いている。宙に。浮いている。そして漂白された。真っ白になる。頭の中を全部で満たされてしまい、そこから、求めていたものが分かってくる。頭でウンウン考えていたってわかんないもの。白く、脱色された自分が、茫然としていて、そこから湯気がゆらっと立つみたく、香りが立ってくる。

楽しい、良かった、ヤバかった、凄まじかった、神懸かっていた、ハンパなかった、エグかった、カッコよかった、イカしてた、とか、もう全部が通用しない。何もかも通用しない。このライブ以前にあった言葉たちはそれを言い表すには全て不十分であり、ただ、俺は何もなくなって真っ白になり、そして、ただ求めるがままのところを知ることになった。

芸術は、行き着くところまで行くと、人間の生そのものを根底から揺さぶってしまう。

 

劇薬だ。

 

魂の欠片を取り出して、そのままアンプで増幅させたら今日のライブになるのだろう。そして、俺が求めていたのは自分がひっくり返るほどの熱狂であり、揺さぶりで、全部ぶち撒けることで、ヤバいところまで行って、ありえない場所に飛んでって、見たことのないものをブチ抜いて見ること、それだけだ。ただ、それに踏み込むのはとてつもなく怖く、崖の手前で行ったり来たりを繰り返して、まあ、おれはこんなことがしたいんどけどね、と言い募っていただけだ。手前での、タップダンス。

あまりにも凄まじい、そして己の存在全てを"載せた"ありさまを見せつけられると、それを目撃した者は否が応にも自分の魂と向き合うことになる。それは気持ち良さだとか、感動を超えた、もっと根底に突き刺さるものだ。芸術の価値とはその揺さぶりにこそあり、そして、そこにしかないのだろうとも思う。

再びライブに行くかはなんだかわからなくなってきた。ひょっとすると、このまま、自分のまま突っ走ってしまうことになるかもしれない。咆哮だ。カネコアヤノは、魂に向かって吼えていた。ただただ、吼えていた。

 

自分の音を鳴らせ。ただ、それだけ。

 

(2024/5/26)

物運んでばかりの人生

めっちゃ物運んでる。ここ一年ずっと。

家から和歌山の宿舎に炊飯器やら大量の荷物を運んだ。そこから一週間足らずで、そこから全部荷物背負って大阪まで運んだ。そいで、そっから借りてるホステルまで一部荷物運ぶ。そんで、またそこから実家まで荷物運ぶ。

めっちゃ荷物運んでる。今日はちょっと泣きそうになって。おれなんでこんなに荷物運んでんだろ。背負って、降ろしての繰り返しだ。京都にいたときも三年で何回も引っ越しして、その度に運んで運んで運びまくった。もうこういうことを続けていくのしかないのかもしれない。

いっつも肩に重たいカバンを引っ掛けている。食い込む力に歯を食いしばりながら、ヒイヒイ言う。そうすることが、まあ根底では好きなんだろう。ただ、もう歯を食いしばるために歯を食いしばることはしたくはない。縛った先に、山が広がっていてほしい。横に、スーッと広がっていく山脈だ。

この二十代半ばという時間は、固まりかけのぬかるみのようだ。続く。どこまでもねばねばしている。ま、めげないことだ。

めげずに!

(2024/5/24)

推しってなんやねん

推しってなんやねんって思う。物陰から隠れて、好きな人のこと見守ってます、みたいな距離の取り方が気に食わない。

今の世の中の若い世代の、推し活とか、消費に根差した快楽摂取全般が苦手だ。もっと世界変えようとせえやと思う。上のジジイ共を舞台から引き摺り降ろして、最高に気持ち良くてハッピーな世界作ってこうや。いや、俺がそういう人と出会ってこなかっただけなのか?そうなのかもしれない。

俺は、人を好きになると自分がどんどん壊れそうになる。引力に引っ張られて、全部分解されていく。魂が渦を巻いて、ヘドロを撒き散らす。どんどんドス黒くなる。好きで好きで、白が右上になって、永野さんがペンタブに変身する。やから、推しってなんやねんって思う。推しです。キュンってしてます。みたいな。なんじゃそれ。

あと、消費はやっぱ虚しいと感じてしまうので、共感できないのもある。消費したって、鑑賞したって、ただそれって他人を見ているだけに過ぎない。根本的な渇きは癒えない。ずっと乾きっぱなしだ。生きているという事実そのものを世界に対してぶつけることが一切できない。俺はカネコアヤノが大好きだ。しかし、聴くたびにめちゃくちゃ悔しくなる。なんだかわからないが、物凄く悔しくなる。そして、いつか絶対直接会って、公式に会える立場になって、そして胸を張って話がしたい。俺はできると思っているし、必然的にそうなるものだ。

だから思う。推しってなんやねん。消費によって本質的に満足できるひとたちが、この世には結構多いのかもしれない。でも、ねえ。見てるだけじゃねえ。物足りねえなあ。好きって言うと、はらわたドロっと剥き出しにしている感じだけど、推しだったら紙に書いて提示している感じ。その、臓物を出していない感じに俺はひたすらムカついているのだと思う。

ナメやがって。俺はいつだって小腸剥き出しにしてやる。

(2024/5/24)

グッドバイ、レオパレス

新卒で入った会社を2ヶ月も経たないうちに辞めた。

今朝は人事部長との面談があった。わりかしドキドキしながら、オフィスの前に行く。でも、別に煮たり焼かれたりするわけでもねえしな、と思い直す。朝、掃除をして朝礼を終える。これが最後の掃除と朝礼か。2ヶ月で辞めてしまうと、感慨もないのだけれど。

会議室に入って、部長と面談をする。部長は色白の太い黒縁眼鏡で、いつもニヤニヤとした笑みを浮かべていて気味が悪いなと思っていたのだけれど、ハラを割って話すと気持ち悪くなどなくいい人だった、なんてことはなくシンプルに気味が悪かった。まず、退職理由をつらつらと俺の口から述べたが、出てくる言葉は「社会はもっと厳しい」「新卒カードはお前には残ってない」「第二新卒は飽和してる」「ウチは待遇悪くない!(注:基本給17万円固定残業代45時間6万円)」などなど…。この白豚と話すのもいい加減疲れたなと思いつつ、ツラツラと反論していく。なんだこの時間。しかし、この部長、自社の良いところが全く言えないあたりが物悲しい。まあ、立場上こう言ってるだけで、良いとこなんて無いのがわかってるんだろうか。最後の方は「お前はその話し方を変えないと雇ってくれるところなんてほとんどない」と遠回しに言われたけど、「自分でやり方は考えるのでご心配にはおよびません」と答えた。しかし人生を「カード」みたいな基準で判断してしまう小物が部長を名乗れるんだから、意外と社会はチョロいんだなと思う。

荷物を返す必要があるので、現場近くの宿舎に戻って荷造りをする。全く感慨も湧かず、ただダルさだけが残る。荷物をまとめる気概が湧かない。ひとまず、横になる。ままならない。横になった先の、延長線上にある窓の外に向かって、ぼうっと語りかける。ままならない。

あまりにも。

ふと、マネージャーのハイエースに忘れ物をしたことに気が付いて電話する。明るい声。やっぱマネージャーは好きだ。すっげえ優しいし、歳も近い。この職場じゃなきゃ普通に友達になってたかもしれない。友とは、魂の近さを言うのかもなあ、とか適当に思いつつ、気合いを出して荷造りを淡々と終わらせる。やはり、人生はゴチャゴチャ考えるには短すぎるので、ノリで気合い出してさっさとやることやるだけである。

30分くらいしてマネージャーが宿舎に着いたから、下に降りる。「おまえ清々しい顔してんなあ!」と、泥やらが付着した服でそう言う。良い人だ。会社はどうしようもないけど、この人は幸せにやっていってほしいなって思う。適当に喋ってゲラゲラ笑って、そこから忘れ物の袋を受け取って、中に重い安全器具、高所であまり役に立たなかったハーネスを入れる。何もかも馴染む直前であって、感慨も湧かなくて、ただ淡々と過ぎる。退職した実感が湧かない。夢の中を地滑りで移動しているみたいな感覚。

ふと、自分は何か過ぎ去る物事への感慨に浸るために何かを辞めたりしていたのかも、と思ったりする。先週、今生の別れみたいな挨拶をしたインド人がドアの前を通りかかったので、トイレットペーパーやらをお裾分けする。ドント・ニードだから、やるよ。おお、センキュー。雑にグーパンかち合わせて、別れる。

まあ、近くの海は綺麗だった。そして、それだけだった。なぜ、たかだか現場配属1週間で辞めてしまったのかよくわからない。またなにより、とても荷物が多い。彼女に電話して駅まで迎えに来てもらうことにした。荷物の多さを説明すると「夜逃げみたいやな」って電話越しに笑われる。たしかに、夜逃げだ。会社からの夜逃げ。現在からの夜逃げ。ままならなさからの、夜逃げ。何かの変化の兆しは、劇的なものじゃなくて、バス停に大量の荷物を置いてバスが来るまでの時間、何もすることがなくて向かいのスーパーの看板をじっと見つめる、そんな時間の中にあるのかもしれない。

帰ったら、昨日の残りのカレーを食べよう。

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書くこととで輪郭が保たれる

書くことで輪郭が保たれる。いや、書くことのみで自分の枠組みが確定される。

ボーッとする。どんどんよくわからない考えが生成される。大体、そこにズズズ、と引き摺られる。その後、身体と意識が離れていく感覚になる。どんどん脳内だけが加速していく。身体が置いてけぼりになる。オブセッション、という英単語があるが、まさにそれ。囚われる。動けなくなる。

けれど、書くことでその楔が解ける。より正確に言うと、書くことでのみ解放される。魂が自由になる。身体の中にきちんと意識が入り込む。安定。何かを書いているときだけが、何よりも自由だ。どんなに苦しくったって、書くことで救われてきた。ノートに書き連ねる。ひたすらデジタルメモにズラーっと書く。自分の意識が、もう一度頭の上から降りかかって手足の先まで浸透していく感覚。きちんと一体化する。

ほかの人が何を喜びにしていきているのか、正直わからない。全然わからないかもしれない。感覚がどこまでおんなじなのかも、わからない。全然違うと思えば、意外と同じこと感じてたりするし、よくわからない。けれど、最近ちゃんと働いてみたり、いろいろやってみるなかで「恐らくこんな感じだろうな」というレベルで、数多くの人の喜びとかがうっすら見えてきた。けれど、それは白いベール越しになんとなくわかるものでしかない。

書くことでのみ、魂の中に芯がぶっ刺さる。膜なんてない。全部がビビッドで、全部生で、全部世界だ。そんな感覚。だから、まあ、自分の喜びのためにひとまずは全力を尽くすしかない。ほかの人のそれが全然わからなくて困った気分にもなるけれど、みんな大体似た感じで、意外と全然違っていて、その中で俺はメッチャ楽しくやるか、という気持ちだ。

サーキュレート

自分のサイクルが段々と分かってきた。

 

4月→元気/新しいことをやり出す

5月→普通

6月→まあ普通

7月→やってたことをいきなり辞める

8月→辞めたてだから超元気になる

9月→元気なくなってくる

10月→マジで身体が重くなる

11月→カス 無

12月→年末の浮かれムードで楽しくなってくる

1月→まあカス

2月→ホンマカス 終わってる

3月→暖かくなって元気になってくる

 

振り返ると、毎度7月になるとそれまでやってたことやめて、それから夏の浮かれた空気のまま楽しく過ごしていたら秋口寒くなってきてダルくなって引きこもる。そっからカスの冬を過ごして、春になってなんか新しいことやるかー!となって、また7月に辞めてる。

 

こんな感じ。なので今から冬に備える。冬つまんねー。

(2024/5/12)

さびしくない カネコアヤノについて

カネコアヤノ『さびしくない』のMVを見た。

世界がひっくり返る。息ができない。ドキドキドキドキドキドキが止まらない。ずっとドキドキドキドキドキドキドキドキしている。

カネコアヤノの乱れた前髪。歪みまくったギター。身体がズタボロになる。

好き?気が狂いそうになる。好きなのか?いや、すき、みたいな、可愛い感じじゃない。危うい。ヒトって、マジで惹かれると凄まじいことになるんだ。地獄の一歩手前でなんとか踏ん張れた。

神様だ。ずっとカネコアヤノの背中を追いかけ続けるんだと思う。ずっと。ずっとずっと。わーかっこいい!好きだー!めっちゃいいー!とかじゃない。ズズズズズズと、ドス黒くなっていく。引力。惹かれる度合いが常軌を逸すると、自分の輪郭が消えていく。

いい人生だなと思う。なぜか。カネコアヤノの音楽に出会えたから。以上。