今年の目標。毎日を違う毎日にすること。
同じことの繰り返しに耐えられないので、どうにか知恵を絞って毎日を違う毎日にする。毎日新しいものを発見して、新しい景色に出会う。そして、自分を縛らない。のびのびと、手を伸ばせるだけ伸ばし、飽きたら辞める。ただそれだけだ。
別に何かを達成しようとはしない。そんなのは何も残らないから。魂に傷を付ける為の日々だ。そんな一年が過ごせるのかと思うと、ワクワクが止まんないね。
今年の目標。毎日を違う毎日にすること。
同じことの繰り返しに耐えられないので、どうにか知恵を絞って毎日を違う毎日にする。毎日新しいものを発見して、新しい景色に出会う。そして、自分を縛らない。のびのびと、手を伸ばせるだけ伸ばし、飽きたら辞める。ただそれだけだ。
別に何かを達成しようとはしない。そんなのは何も残らないから。魂に傷を付ける為の日々だ。そんな一年が過ごせるのかと思うと、ワクワクが止まんないね。
名古屋に出張した。何度来ても、固くてゴツゴツした街だなと思う。好きな人には申し訳ないが、僕は名古屋が好きではない。濃すぎるソースの味。無機質に広がる都市空間。栄の感じもギラギラしすぎていて苦手だ。東京は、あの歴史に揉まれた味わいがある。大阪はなおのこと柔らかい。けれど、名古屋にケレン味のようなものを、感じられたことはまだない。
過ごしているうちに良いところが分かってくる、という向きもあるのかもしれないけれど、最初に行った頃から肌に馴染まない。最初がダメだったら、もうとことんダメだ。合う合わないは、もう予め定められているのだと思う。
始めて名古屋に来たのは高校二年のときだった。ママチャリで東京にどうしても行きたくなって、冬休みの終業式のあと、衝動的に飛び出したことを今でも覚えている。お金がなかったから板チョコ十枚を百円ローソンで買って出発した。大阪からひたすら漕いで、生駒の方へ抜けた。どんどん夜になっていって、清滝峠の辺りで恐ろしいほどの心細さが押し寄せた。周りに誰もいない。走っているのはトラックだけだ。圧倒的な孤独。そして寒い。十二月の二十五日。はっきり覚えている。思えば、本当の意味での孤独を覚えたのは、あのときが初めてだったのかもしれない。真っ暗な山道。ひたすら真横を掠めるトラック。そして、漕げども進まない道。ゴールはただただ、五百キロ先に鎮座している。
泣いた。十六歳にして泣いてしまった。辺りは街灯さえなくなり、真っ暗になった。絶望に近い感情が押し寄せる。クルマさえ居ない。静かな、山。いま熊にでも食われたとして、誰も知りやしないだろう。ひたすら漕いだ。怖くて怖くて、たまらなかった。漕ぐしか、なかった。
ふと、坂道が下りになった。視界の先に街灯が見える。人が、住んでいて、生きている。温かいご飯を食べて、風呂に入っている。僕は、ひとりで、極寒の中、ひたすらママチャリを漕いでいる。
シャーッッと山道を一気に駆け下りた。三重県の四日市までたどり着いた。汗が一気に乾く。深夜だった。マクドナルドに入った。ただただ、眠たかった。寝ずに、漕いだ。寝ずに漕いだら名古屋に着いた。感じたことのない眠気が襲った。アドレナリンと奇妙に混ざり合い、身体の輪郭がフルーチェの中でぶよぶよになっていくみたいだった。朝十時くらいだったろうか。人生で初めて来る、名古屋に出会った。気が付けば二百キロ以上漕いでいた。クタクタだった。無機質な名古屋駅をウロついていた。あまりおもしろくなかったからネットカフェに入った。漫画読んでも頭に何も入ってこなかった。寝ようとしても眠れなかった。
ただ、湯気が立つみたいに、ずっとのぼせていた。僕は微熱にうなされていたのだった。
帰りの新幹線で、あのときの感覚を、ビル群を見つめながらふと思い出していた。まだ、この街はゴロっと僕の前にいる。もしかすると、これは名古屋特有のものではなく、どこかに抜け出したくて仕方なかった高校生の頃の湯気が、まだ残っているからなのかもしれない、なんて考える。また来週出張で来るけれど、気分が乗るかといえば、そうでもない。
もしかすると、この都市は苦しい自転車で来るものだと、身体が思い込んでいるのかもしれない。お腹の少ししたのあたりが、ビリリと蠢く感覚。新幹線が駆け抜ける中をレンタカーで走る。世界は動いている。そのことが、なんだかたまらなく嬉しい。
旅はジャンクだ。果てしない消費だ。そして、何かを成し遂げたような錯覚に陥ってしまう。徹底的な受動性。何かを生み出すわけでもない行為。
どこか大変なところに行って、本当に大変な思いをして、なんとかなってしまい、そして日常に還る。その行為を反復して青春を過ごしてきた。だけれども、衝動的なまでに何処かに行くことは、しなくなった。
やはり遠くには行きたい。けれどもぷらぷら、なんてことはしたくない。見たことのない景色を見る、という激しい欲求はまだまだ自分の中を貫いている。けれども、行き当たりばったりで見るのではなく、もっと、あまり言語化できないのだが、雑さのチューニングを落とした状態で、かつ縛りすぎないくらいのマインドでそれをやりたい。
別に真面目に、とか修行僧みたいになったつもりはない。端的につまらない。けれど、もっと別の仕方でやりたい。もっと自分で自分を支えるような、そんなやり方で。もっと、本当の喜びと結び付いた仕方で。
言葉にうまく言い表せないけれども、やっぱ自縛するのとはまた違う。サバイバルに近い。確かな仕方で、生存の確率を高めるという嗅覚を駆使しながら、求めるものに近づく。
ジャンクではなくて。もっとビビッドで、煌めきのあるような。もっと、確かにこの目でみたい。それも、自戒とは違う在り方で。
エモさも何もない。けど、見てみぬ振りはやめた。それだけの話だ。もっとリアルを見て、生きていく。そう、見るか見ないかの話であり、何も見ずに所狭しとひしめく快楽を満たす存在からは一旦は抜け出したのかな、という感覚だ。
もっと自由に。全部を遊ぶみたいに。粘土を捏ねる子供みたいに。今年の抱負は、と仮に聞かれたとするならば、こう答えるかもしれない。
ハシャぎまくる。何も考えてないガキみたいに。
前回→イラクのバグダッドに、演劇を観に行った① - お前は何がしたいんだ
俺は深夜の杭州の空港で呆然としていた。時刻は0時過ぎ。0:05発の飛行機はとっくに出発している。俺が乗るはずだった、カタール航空、ドバイ行き。俺だけを乗せずに、飛び立っていった。
拙い中国語をなんとか喉の奥から捻り出し、カウンターになんとかできないかと頼んでみる。しかし、返ってくるのは呆れた顔と、どうにもできない、という驚くほど明確な答えだった。お前は何を言っているんだ、みたいな空気と視線。ひとまず、ベンチに座ってみることにする。仕方がない。宿を探す。
プルルル……。ネットで探したホテルに片っ端から電話を掛けてはみる。
「今から一人、予約できるか?」
「身分証はあるか?」
「ない。」
「…。身分証が無いなら無理だ。」
こうしたやり取りを延々と続けた。中国では!中国国民のみが持つことのできる「身份证」というものが、どこへ行こうにも、例えば高速鉄道に乗ったり宿に泊まったり、果ては行楽地でチケットを買うときにさえ、必要になる。中国は身分証社会である。どこへ行っても己の身分を証明することが求められる。そして、身分証を持たない外国人は一切泊まれない宿というものが、数多く存在するのだった。
深夜の空港でひたすら電話をかける。ダメ。身分証がいる。ダメ。外国人は泊まれない。ダメ。一体何軒掛けたのかわからない。時間もどんどん過ぎていく。
なんとか、泊まれる場所が見つかった。時刻は夜中の1時を回っていた。重くなった脚を上げ、誰もいない空港の外側へ繰り出す。冷たい外気が眼の奥まで吹き込んでくるみたいだった。弱々しく手をあげて、タクシーを捕まえる。クルマばかりが走る殺風景な杭州を、走り抜けていく。ロボットアニメの都市みたいな風景が、ただただ、ずっと広がり続ける。5分ほど走った頃だろうか。運転手のスマホに着信が入った。車線ばかりが広がる道路を走りながら、彼はやや深刻そうな面持ちで話を続ける。なんだか、嫌な予感がした。そしてこうした予感は往々にして的中するものであり、そして悪いことは、大抵立て続けに起きる。
「すまないが、降りてくれないか?」運転手が静かに告げる。
「え?なんで?」
「間違えて別の人の乗車を受けてしまった。すぐ戻るから一旦降りてほしい。絶対に迎えにくるから。」
中国ではuberのような配車システム(『滴滴』というサービスだ)が発達しており、俺を乗せたにも関わらず運転手は別の乗車を承認してしまったらしかった。承認した以上乗せない訳にはいかないので、一旦俺を降ろしてそれからまた迎えにくる、という旨のことを俺は告げられた。知ったこっちゃない。断固拒否したい。早く寝たい。なんで飛行機に乗り遅れて挙句の果てに深夜の幹線道路で降ろされないといけないのだ。しかし、俺にはごねる元気さえ残ってはいなかった。
「わかった。」俺はそういって、粛々と降りた。歩道などではなく、他に行き場のない分離帯のような場所で。
車が高速で駆け抜けていくのを、呆然と眺めていた。もう別のタクシーを捕まえようと思ってみるけれど、走っていない。どうする?ここからは何キロも離れた場所にホテルはあり、歩くのは現実的ではない。「10分で戻ってくる!」と威勢よく言い放った運転手は、15分経っても戻ってこなかった。この街には何も落ち度がないのだけれど、もう杭州には来るもんかと思った。行き場の無い、怨嗟。ひたすら立つ。何も知らない場所で。時刻は2:19だ。こんな真夜中に。独りで。
運転手が走り去ってから、20分近くが経過した。そして、タクシーが僕の前に停まった。運転手はヌルッと扉を開ける。
中には、見知らぬ女が座っていた。
🚕🚕🚕
ホテルに着いて、チェックインを済ませ横になる。長かった。あまりにも長い旅だ。朝に飛び出して、ほとんど明け方が近づく今になっても、僕はまだ中国国内にいた。どうして?本当は、数時間後にはドーハで乗り換えていたはずなのに。
しかし、嘆いていても仕方がない。新しい便を予約するしかない。
ひとまず導き出した結論だ。杭州から中国西部の成都へ飛び、そこからエジプトのカイロで乗り換えてバグダッドへ至る経路だ。値段も手頃だったし、スケジュール的にも早く出発する必要があった。何よりも、インド経由で向かっている吉村に遅れてしまっている。本当はバグダッドの空港で待ち合わせをするつもりだったのだけれど、先に一人で市内のホテルで待機してもらうことはほとんど確定していた。ソロ海外旅行が初めての吉村に、いきなりひとりでバグダッドに行ってもらう…。自分が起こしてしまった不義理に胸が締め付けられるような感覚になる。そんな気分と、やり場のない溜め息の源を抱え込みながら、僕はベットに沈み込んでいった。
翌朝、タクシーを拾って空港へ向かう。
遅延しててワロタ。また遅延やんけ。90分も遅れとる。乾いた笑いしか出てこなかった。
俺は修行僧だ。心の平静を保つ為に自己暗示をかける。俺は待つ。待つ為にここに来た。ロビーでじっと座る為に、俺はチケットを買ったのだ。そうだ。飛行機はスグ乗るように待って乗った方が味わい深くなるのだ。遅延せずに乗ってしまう人々が可哀想だ。遅延を味わえ。そして喜べ。
やっとのこと乗ることができた飛行機の安心感は凄まじかった。やっと中国から飛び立てる。もう出発から24時間以上経つけど、まだ俺は中国国内にいる…。
飛行機は無事成都へ到着した。エジプトまでの乗り換え便まで3時間ほどあったので、ザッと市内を見る為に空港でスーツケースを預け、地下鉄に乗った。ここまで来たら骨の髄までこの旅を味わい尽くす必要がある。
中国の地下鉄の椅子は硬い。プラスチックの椅子だ。ふかふかの布では、ない。
天府広場、なる場所にやってきた。名前がカッコいいのが理由だ。中心地との情報があったものの、単なる広場に銅像が鎮座しているだけだった。拍子抜けしてすぐ帰ることにした。
地下鉄に乗ればギリギリ間に合うが、また乗り遅れるのが怖い。ここは思い切ってタクシーを捕まえることにした。タクシーに飛び乗り、空港へ向かう。約180元(3600円ほど)の出費。大した観光もしていない割には手痛い出費だが、飛行機に乗り遅れるよりはよっぽどマシだ。
また遅延しててホンマにワロタ。なんの為に俺はタクシー乗ったんや???
待つ。俺は空港修行僧やねん。ナメんなよ。もっと遅延の飛行機を待ちたい。自分、昨日から遅延の飛行機にしか乗っていません!もっと遅延待ちやらせてください!!
キッチリ50分近く遅延して飛行機はやってきた。待ちくたびれた乗客たちが深夜のロビーに群れている。ずっと、深夜のロビーで飛行機を待っている。そのやり切れなさと、越境できるワクワクが複雑に混ざり合う。遅延、搭乗不可、遅延、遅延…。本当に今後どうなっていくのだろうか?
血迷って普段は絶対観ないような映画を観ることにした。ヘッドフォンを付けて、映画をスタートさせて、爆睡した。飛行機の揺れだけが俺の感情を癒してくれる。俺は窓際には座らず、通路側にいる。いつでも、飛び出すことができるから。何回も何回も、ひたすら飽きるほど飛行機に乗って、やっと中国から飛び立つことごできた。機体は加速を続け、内臓をくすぐるような感覚が一瞬訪れる。離陸。徐々に高度は上昇し、窓の外から小さくなっていく都市が見えた。
一旦さらばだ、アジア。
✈️✈️✈️
目が覚めて、25ドルでアライバルビザを買う。ネットでは時間がかかるだの色々と書かれていたが、カネを払って、パスポートにビザの紙切れをガッチャンと止められ、それで終了だった。
俺は、エジプトのカイロ国際空港にいた。
(つづく)
ドーパミンで脳がジャブジャブになる。ぐらぐらと、歯周病の歯茎みたいになった脳みそを、辛うじてホールドしておく。書くことだけで、なんとか保たせることができる。
自分以外の周囲は風任せだ。他人は風だ。適当に吹いていく。何がどうなるのか、ラディカルに言えば何もわからない。全ての物事に対して、あらゆる事象は可能性に開かれている。あっちだと思っていた他人がこっちだった。そんなことは、往々にしてある。そこにいちいち惑わされていては、前に進めない。
例えば何もかもがなくなってしまったとしよう。具体的には書けないけれど、何もかもが。そんな恐ろしいことがあったとしても、書くことだけは残されている。言語という奇跡だけは俺たちの手の中に確かにあって、それを握って確かめることができる。我々は、言語という物質を生成可能な存在である。ソイツを粘土みたいにこねたりして自分を変えていくことができる、唯一の存在だ。
自分自身に深く応答できる。話せる人が居なくたって、どうしようもなく孤独になったって、書ける。書くことができる。ただそれだけが救いだ。
恥ずかしくって周りの人には言えなかった。だけれども、このブログを始めて6年以上が経つけれど、僕は身体がどうしてもチミチミと何かを書く方に傾いてしまう。金を稼いだり投資で一発当てたりYouTubeをしたり起業しようとしたり、実は色々やったけれど、やはり、どんなときだって、どんな風が吹いていようが、俺は、どうしても、何がなんでも、本当にどうしようもなく、書きたくてたまらないのだ。魂が直接突き上げて吼えてくるこの衝動を、いまは飼い慣らすのではなく、ひたすらに発散させてみよう。時間は不可逆なのであり、後から振り返ったとき、俺が一番後悔するのは、ただ、見て歩いて書けていない、ただその瞬間に対してのみだ。言葉を、限界までこねくりまわすことに対する原始的な快楽が、僕の身体をひたすらに貫いている。
(2024.12.30)
身体が軽い。すこぶる軽い。
会社で大掃除をした。窓を開けての掃除だ。皆で何かをすることは、やはり楽しい。職場は好きだ。ドライな所が、肌に合う。
帰る。年末だ。休みが嬉しいような、そうでもないような。何よりも一年が終わる。そのことが、まあ、なんとも言えない。
時間がわからなくなる。どこからやってきて、どこに行くのか。微妙な感じだ。早いとも遅いともいえない。ただ、終わったなと思う。
いまはホバリングしている。身体の芯が、きちんと自分の中を貫いている。だからこそ軽い。やどり木に、停まっている。やどっている。
なんだかんだ、労働という行為を始めて、一年以上が経つ。なんだか、もっと早くここまで来れた気もする。やはり、言えるのは、人の言うことなど聞いてはいけない、ということだ。より正確にはその道に居ない人間の発言は全て無視することが、本当に唯一の正解だ。
ひとの言うことを聞かないで、後悔したことが、本当に無い。聞かなくて良かったと思うことばかりだ。
今年は人にあまり会わないでおこう。いまは、ギュッと、堪える期間だ。ユートピアを出て、孤独になる時間というのが僕には必要だった。そしてそれは正解だった。だけれども、そんな世界での過ごし方なんて少しも分かっていなかった。色々と迷った。けどまあ、なんとかなっている。ひとりで、過ごしてみる。軽い。なんだか宙に浮かんでしまいそうだ。
覚悟。デカい穴を閉めてから、一年と半分。ずっとふらしていた。けれど、もういい加減腹を括ることにした。
まず、意外と今の仕事には適性がある。つまらないしやりたくはないけれど、できる。なので一度徹底的にやり込んでみる。期間は短ければ短いほど良い。人生は有限なので全ての物事はサッサと進めたい。出口を決めておかないと、いつまでもズルズルやってしまう。だが、時間を区切っても長えなあ、となって萎えるし、成果ベースで基準を作ってもめんどくせえなあ、となる。ずっとあいまいに生きてきたので、何か指標を作って生きることがすごく苦手だ。受験と大学ストレート卒業もそれで失敗したと思ってる。
じゃあ、何で行動が変わるのかといえば「もう飽きたな。」の心の一声だけだ。これ以外で意思決定を行ったことがない。「なんか違うな。」本当にこれが神の一声なので、いつこれがやってくるのかはわからない。けれど、二十代も残り僅かなので、ウダウダしてもいられない。だからパブリックな場に書き残すことにしようかと思ったのだけれど、なんともいえない。
というわけで、ハイブリッド作戦だ。つまり、短めに期日を切る。その度に飽きていたら辞める。飽きていなければ次のスパンまでひとまずやる。これでいこう。問題はスパンをどう切るか、だ。
三ヶ月?うーん、意外といいのかもしれない。一年は無理。長過ぎる。半年はまあちょうどいいけど、前半ダラダラしそう。一ヶ月はぼーっとしていたら過ぎるので、ナシ。三ヶ月は…。まてよ?中国の工場も二ヶ月で辞めたし、通訳の契約社員も二ヶ月ちょいだ。実は身体のスパンは二ヶ月サイクルなのかも。長過ぎず短すぎず、ちょうどよい。
なので、この場で、二ヶ月全力で走って、飽きたら辞める作戦に決めた。二月末まではやれそうな目標1.2倍くらいの負荷の仕事をやる。ちょっと無理するくらいがちょうどいい。ポイントはちょっと無理そう、という塩梅なのだけれど、俺には分かる。
あと、並行でやること。行政書士取ることにする。かれこれ四年近く擦ってるけど、いい加減スパっと取る。TOEIC九〇〇乗せる。HSK六級まで乗せる。無駄な副業じみたことは一切辞める。
要約。賃労働を二ヶ月スパンで本気でやる。飽きたら辞める。どうにでもなる。
平行して、書く。どんなに短い時間であってもいいから、とにかく毎日何かしら書く。ただただ、書く。書いて書いて書きまくる。こっちが本チャンの人生。ただこれだけだと生活が成り立たないから、今のヌルい仕事を負荷掛けてやる。
もういっちょ。行政書士を取り切る。理由は速開業できるから。なんか変なやつが多いなと思うけれど、まあ一旦取る。取ってからどうするか考える。あと語学をやる。理由は楽しいし向いてるから。
どうせ長居しないし人間関係とか適当にしながらガーッて労働して、毎日ゴリゴリ書く。書くのに飽きたら語学やって資格試験のしょうもない勉強をする。それにも飽きたらおもしろくて難しい本を読む。読んでたら飽きてくるから書く。適当に混ぜて繰り返す。
仕事では接待しない。理由は時間を削られるから。業務時間外に絶対に労働しない。その代わり時間内はめちゃくちゃ集中する。
ダラダラやっていくことは性に合わない。歩くのも食うのも早いし、風呂もタイムアタックみたいに入ってる。屋久島行ったときも速さ重視し過ぎて絶景スポットをスルーして帰ってきた。おれはせっかちだ。できれば今後一年以内に全てがいい感じになって仕事を辞めたい。というか、余裕でできる気がしてきた。
というわけで、ガッーっとやる。世界のおもしろさを味わい尽くす為に。ハチャメチャに詰め込む。以上。