例えば道を歩いているとして、真ん中にカラーコーンが出てくる。どうやって避けるか?右か、左か。果ては股の下に通して直進するのか。
そういうときは、なんとなく惹かれる方へ曲がっていく。みぎ、だな。直前になっていや、左の方が正しい、みたいな。何かを選択するときの「エイヤ」の感触。それは好きな人への告白を風呂上がりにふと決意したときとか、道を間違えた後にサッとUターンしてみたりする瞬間と大差がない。何も考えていないのだけれど、何故か合っていると直感できる。そして、何よりもキモチがいい。スーッと、流れていく。そうそう、これこれ。これなんだよな。あ〜気持ちいい。身体の中をぬるま湯がツツーッと通り抜ける。あの、感覚。
これが、最近消えていた。だけどまた戻りそうだ。身体が引っ張られる方へ、素直に身を任せてみる。意固地とかひねくれ、偏屈さを捨てて、ただ飛び込む。そうするとスルリと流れる。シルクの上を滑り続ける。
お金とか、周りの目とか、将来性、みたいな概念やらなんだか変なものたちのことを考えて何かを決めるという、「賢い決断」というものは実は最も愚かである、と敢えて断言してみる。
定量的、論理的に正しくても、僕たちには肉体があり、どうしようもないクセにその生が運命付けられているのだ。所詮は生き物だ。重力には逆らえない。重さ、しなり、そのめんどくささを抱えて生きていくしかない。一周回って、という留保は付けておくが、ぼくはやはりどうあがいたって、気持ちが良い方向に流れていく。
身体が傾く方へ。魂の求めるままに。
そして、自分が行き着くべき場所へ。
2024.9.14