距離

距離がある。この人とは連絡を取れるかなあ、という時間の距離。連絡を取り合ったり、することへの賞味期限。なんとなく連絡が来たり、取ったりするけれど、いつしかそういうことをしなくなる臨界点のようなものがある。そんな気がする。

だいたい一年。多分そんなもの。それを過ぎると、お互いに「なんかやめとくか」みたいな暗黙の了解が生成される。距離を超えて生まれる、了解。そもそも了解が明確になされるのか、という問題はさておき。

その人がいなくなっていく。考えなくなる。ふと、思い出しても、灰色の写真の中に押し込められている。あるけれど、ない。そういうもの。終わってしまったがために取り出せなくなる。箱にしまったおもちゃを遠くから、眺めた続ける。

そんな人々を地層のように織りなして生きていっている。バスを待っているときとか、帰り道にキャッチを避けて歩こうと決断した瞬間に、少し思い出すくらいの。どこで何をしているのかはわからない。何を食べて、どんな人と冗談を言い合っているのか。でも、まあ人ってそんなに変わらないかもしれないし、案外そのままであったりする。そして、時たま、この法則が破れることだってある。冷凍されていたはずの人が、何年も昔のまま、そのまま話しかけてくれたり。そうした積み重ねが、自分の身体に積み重なっている。