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さて、テクテク歩くふたり。雨は降り続け、殺風景にクルマは通り過ぎていく。このまま本当に30キロも歩くのか…?と不安になりながら、拙い英語でボブ(仮名)とやり取りをする。お互いの出身地、年齢から、ボブが行った場所の話、地元の話。
右側を向くと、リアス式に入り組んだ陸地と、寒い海が見える。ずっと、この風景が続くのだろうか。いやあ…。海外からひとり日本に来たボブを、こう何十キロも歩かせることに巻き込んでしまうことに罪悪感に近いものを覚え始めた。おれは日本語が流暢に話せるわけだし、ここは他の日本人に助けを求めるべきでは…?
「ボブ、ヒッチハイクはしたことある?」
「なにそれ?」
「こうやって、親指立ててクルマに乗せてもらうことなんだけどさ…」
俺の英語が微妙なのもあってなかなか伝わらない。ボブはフランス出身ということもあり、お互い第二外国語なので意思疎通はあまりスムーズにはいかない。でも、そのうまくいかなさが、なんだか楽しくもあった。そして、ボブはヒッチハイクをしたことがないらしい。他力に頼ってしまうのが嫌だとか云々言ったが、ここはもうやるしかない。ひとりで歩き続けるのはいいが、こうして人を巻き込んだ以上、俺が使えるものはフル活用するしかない。
こうして、親指を立てて歩き始めた。一台、また一台と過ぎていく。トンネルに入って、ツルツルの歩道に転びそうになったり、途中祭に遭遇したり。誘導の警察官もいて、なんか乗せていってくんねえかなあ、と思いつつ、何事もなく何本もトンネルをくぐる。山を越え、平地におり、また山を登る。いつまで続くのだろう…。
そう思っていると、一台のミニバンが10メートル先くらいで停まってくれた。まさか…!と思い駆け寄ると、気のいいお兄さんが「乗る?」と言ってくれた。
こうして俺とボブは後部座席に乗り込んだ。気の良い兄ちゃんは地元で漁師をしているそう。浜坂はカニ漁がメインで、地引網で獲るらしい。温泉街もあるし、そこに卸すこともあるのだとか。しかも聞くと結構年収も良い。
「太田くんも、もし次お店やりたいってなって、資金必要になったらウチで漁しなよ」
漁師、良いなと思った。こうして地元の人々から生の情報というか、身体に根差した言葉が聞けるのが嬉しい。適宜ボブにも伝わっているのかわからないが俺が通訳しつつ、3人で楽しく話した。
「フランスでもカニは獲れんの?」と兄ちゃん。
「獲れるよ。」
「どうやって食うの?」
「茹でてマヨネーズとか付けて食うかな」
おお、そうなんだ!兄ちゃんも一瞬仰天していたが、ハハッと笑みをこぼした。
「マヨネーズかあ」
そんなこんなで、サクっと鳥取駅に着いてしまった。ありがとう、兄ちゃん。本当に感謝しています。最後に3人で写真を撮って、別れた。連絡先の交換もせず、いつどこでまた会うかもわからないけど。また来るね、浜坂。
さて、6時間も歩かず、ものの数十分で島根に着いてしまった。ボブは「ゲストハウスにチェックインするから、その後カフェでも行かない?」と言ってくれたのでもちろん快諾。ネットの繋がらない彼の代わりにGoogleマップで道を調べて、ゲストハウスに付き、また二人で歩き始めた。
「食う?」と、ボブが差し出したのはいつ買ったのかわからない葡萄だった。どこから出てきたんだ…と思いながら食う。まあうまい。
「洗ってないけどいい?」
もはやなんでもいい。俺は構わず食った。
ボブがタバコを買いたいというのでコンビニに連れていった。タバコが吸える喫茶店に行こう、と言うと「俺は自然の中で吸うのが好きなんだ!」と元気そうに言い放った。銘柄はアメリカン・スピリッツだった。
適当に歩くと公園に着いた。二人でベンチに腰掛ける。
「きみは宿には泊まらないの?」とボブは怪訝そうに聞く。
「いや、今日は公園にでも泊まるよ。」
「ここに?」
「うーん。もっと広いところにするかな。」
「カネが無いのか?」
「いや、無いわけではないけど。自由になりたいんだ」
我ながらカッコつけた答えだなと思うが、4割くらいは本当だ。沖縄ではずっと宿に泊まっていたけど、なんだかモヤモヤしていた。こんな普通の旅行でいいのかな。そう思っていた。
そして、話していくうちに俺がお店を閉めた話になった。
"Are you sad?"(悲しいの?)
と聞かれ、咄嗟にうん、と答えてしまった。そっか、という風にボブは相槌を打ち、自分はラッパーなんだと言った。
ラッパー!すげえ!そう思っているうちにボブは「携帯を貸してくれ」と言い、俺は携帯を渡し、彼はSpotifyで曲を検索してくれた。
「これは僕が失恋したときに聞いていた曲なんだ。」
美しい曲だった。街の真ん中にある公園、両側は道路でクルマはひっきりなしに通る。空は暗い。ボブはアメスピに火をつけて、透き通るようなボーカルが歌い上げる音楽を流してくれた。
この瞬間がたまらなく幸せだ。心の底からそう思った。「一本吸う?」俺はボブからアメスピをもらって、火をつける。風が強くて中々着火できない。思い煙が肺に侵入してくる。久しぶりだ、タバコは。お店で吸っていた以来。ただ、ひたすら俺とボブはタバコを吸い、彼の好きな音楽を聴いた。何も喋らず。先っぽの火だけがゆらゆら動く。蛍みたいだ。そういえば、俺は蛍というものを本当に見たことがないのだった。ずっとこの時間が続けばいい。
ふと、おもむろにボブはYouTubeでビートを検索する。島根の街中にひっそり、ビートが流れる。フランス語。綺麗だ。ボブの口からスルスルと、ビートに乗せて彼の母語が溢れ出す。意味は一切わからない。鼻濁音とリエゾンが響く。俺はタバコを吸って、ただ耳を傾ける。何曲も何曲も、ボブは唄う。
ずっと、この時間が続けばいい。
帰り道。駅の前でボブと別れた。「メシでも食おうよ」と言ってくれたけど、お腹がいっぱいで、あと、やはり電車がないから歩かないとダメだった。
「ありがとう。でもごめん、僕は松江まで歩くよ。」
「松江まで?ほんとに?」
「うん」
なんとも言えない空気が流れる。俺の耳にはさっきのビートと、彼の歌声がじんじん残っている。
「わかった。じゃあ別れる前にインスタ交換しよう。」
「もちろん」
一緒に写真を撮って、ボブとバイバイした。なんだか、ずっと足取りが重たかった気がするけど、スルスルと軽く歩けた。今ならどこへでも行けそうな気がする。
しばらく歩いてスーパーの前で水をゴクゴク飲んでいると、ボブからメッセージが来た。
「君はまだ若い。今を受け入れて、また新しい恋をして生きていこう。さっきはそういうことを歌ったんだ。」
彼の優しさが、たまらなく嬉しかった。
道はまだまだ続く。俺は暗い夜道をまた歩き始めた。でも、不思議と不安な気持ちは、ない。
(つづく)