遠出したいという欲が無くなった

中1の冬。これが俺のはじめての遠出だった。俺は大阪市旭区の大宮という下町に生まれた。家は市営住宅。いわゆる団地だった。階段を使って一階に行くと、よく人糞が落ちていた。人糞が嫌すぎて、エレベーターを使うこともあったが、やはりガキは階段が好きなのでよく人糞に遭遇してしまう。ほとんど高齢者しかいない、団地。「おまえらはこっちくんなよ!」スーパーマーケット万代の隣にある分譲マンションに住むフジモトくんは俺にそう言い放った。俺は綺麗な分譲マンションの小さな公園で遊ぶのが好きだった。「あそこの団地の滑り台、お化け出るらしいで。写真で撮ったらオーブ映るねん。」同じクラスのテラモト君は、俺の団地の公園の滑り台のことをそう言った。お化けが、出る。たしかにその公園で遊んでいると、7階からジジイが「じゃかましいっっ!!!」とすごい威勢で怒鳴ってきた。真昼間なのに、である。おれは当時親友だった芦田君とその公園で「子供の科学」という少年向け科学雑誌を読んでいた。そして、団地の公園のマンホールにはエロ本が大量に隠されていた。小5のおれは見つけるや否や、フタを閉じてしまった。ほぼはじめて見る、女性の裸体。なんとなく性に目覚め、そしてなんとなく自分達家族の置かれている社会的地位をうっすら自覚していた。エロ本の隣に生えている木にはよくカナブンが止まっていた。謎にすももが成るその木には、虫が集まるのである。セミもよく取れた。俺は、ひたすらセミを取っていた。

 

中1。おれははじめて遠出した。大阪市旭区関目高殿から、生駒まで行った。チャリで行ったのだ。

 

隣の隣のアズマさんは毎晩大音量でテレビを見るお爺ちゃんだった。そして愛想も悪い。愛想の悪いアズマさんと出会い、家に帰る。トイレには「様式便所の使い方」という説明書きがあった。様式便座には腰掛けるもので、その上でウンコ座りをしてはいけない。昭和がそのまま残った住宅だった。そして全室畳だった。エレベーターは死ぬほどボロかった。504に住んでいた。1階のボタンは擦り切れていた。

 

親父が大昔に買ったデスクトップのVAIOで、俺はグーグルマップを開いた。家の回線はADSLだった。なんで、いきなり生駒まで行こうと思ったのか。今では思い出せない。俺はひたすら、何度も何度も何度も何度もストリートビューで道順を暗記した。そして、詳細にメモを取った。関目5丁目交差点から163号線に入る。薬局を右手に曲がり、2つ先でさらに左へ。こんな具合で、グーグルマップを全て完璧に模写した。そして親父のデジカメで画面を撮りまくった。ストリートビュー全てを写真に収めた。学校から帰るとひたすら生駒のストリートビューを見まくる。高揚感しかなかった。俺は外の世界に出るんだ。

 

 

俺は、外の世界が欲しかった。猛烈に欲していた。

 

ありえない自分になるような感動。血が全て入れ替わってしまうのではないかと思うほどの、胸の高まり。世界への希望。短い人生には余りあるほどの魂の悦びを、生駒山へのグーグルマップを見ながら俺は感じていた。毎晩毎晩、ひたすらとにかくワクワクしながら、俺はチャリで遠出する妄想に取り憑かれていた。

 

正月。親父の本棚にある「マップル」をリュックに詰めて、おれはママチャリを漕いだ。メモと写真を見返しながら、ひたすら漕いだ。門真を過ぎた。ここより先には行ったことがない。俺は、ひたすら漕いだ。漕ぎまくると見たことのない標識が現れた。そして、ありえないくらい急な坂が現れた。

 

「新石切」

 

家族に連れられることでしか行けなかった地名だ。親の金で、電車に乗せてもらうことでしか辿り着けなかった新石切。おれは、自分の意志で、自分の足でここまで来た。感動で全身が震えた。ストリートビューで見た山道。それが、目の前にある。

 

ヘトヘトだった俺はドキドキしながらひとりで電車の切符を買った。そして、ひとりで電車に乗った。大阪市営地下鉄しかひとりで乗ったことのないおれは、はじめて近鉄に乗った。私鉄は、大人の味がする。そして生駒山の麓に着く。また急な坂を歩いた。おっさんが走ってくる。

 

後ろを振り返る。絶景だ。今でこそ生駒の景色なんて大したことはないのだが、絶景だった。建物が粒のようだった。空が近い。静かだ。俺は山を登っている。やはり、「下界」がある。世界が切り離されている。俺は、浮いている。

 

遠いところへ来たんだ。

 

麓では成人式が行われていた。そうだ、正月が少し終わって成人式だったんだ。ひたすら、登る。山道になる。親父のデジカメで写真を撮る。なんてことは無い、ただの落ち葉が積もる斜面だ。でも、俺には絶景だった。ありえない、外の世界だった。

 

山頂には遊園地があった。でも、冬季は休園していた。山頂に、遊園地がある。ああ、世界には山頂に遊園地があることが、あるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生駒山の山頂には、遊園地があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから十年以上が経つ。遠出したいという欲がさっぱりなくなった。チャリで生駒に行った時から、遠出することが尋常ではないほどに、人生全てを捧げていいと思えるほどに、魂が悦びのあまり消えてなくなってしまうほどに、楽しくなった。いろんなところに行きまくった。高校生になると18きっぷも使いまくった。北は宗谷岬から、南は佐多岬まで。

 

でも、最近サッパリ遠出の欲が消え失せてしまった。この京都でなんとか頑張ろう。なんだか、そう思ってしまった。自分が自分でなくなってしまう。遠出を、旅を欲さない自分のことは、そう思えた。

 

なぜ遠出を欲望しなくなったのだろうか。俺には皆目見当がつかない。とりとめのない話になった。今日も、外は寒い。また、明日は今出川に行く。今は紫野に住んでいる。実家は引っ越し、今は関目高殿も門真も遠くなった。団地のやつはこっちで遊ぶなとも言われなくなった。なんとなく、大人になった気はするけど、まだ一人前では全然ないなとあたりまえに思う。過剰さが足りない。なんとなく、やり切れないけれど、そこはかとなく毎日は、過ぎる。

 

やはり、何度も思ってしまう。一体俺は何がしたいのだろうか?ひとまず、今は遠出ではないのだろう。

 

生駒山の上には、遊園地があるのだ。

(2022.10.13)