むさむさ浪人記 〜春に食べる焼売はおいしい〜

ふと思い立った。

人間誰しも記憶があって、思い出があるものだと思う。それがある種の特別な感傷を伴えば「ノスタルジック」なものになるのかもしれないし、ありもしない、青空にもくもくとそびえ立つ入道雲に象徴されるような、「よくある」イメージを内面化してしまった結果としての、胸を締め付けるような青春の面影が心を捉えて離さないのかもしれない。
ぼくは文章を書くとき、独立した「書かれたもの」に敬意を払いたいとは思うものの、同時にこの文章を書いているときの自分というか、環境、時間、距離みたいなものも一緒に記しておきたくなるタチなのだ。てことで、この文章はほんとうについさっき思い立ってしまった。TSUTAYAで借りた、曇りガラスみたいな、やさしく膜を被ったみたいに映像として迫ってくる心温まる家族の話(冒頭25分しか観ていないけど、いい映画だと思う)を独りで観ていたのだけれど、なんだかこれはいまの僕ではじっくり鑑賞することはできないな、と思って観るのをやめてしまった。ただぼんやりとして、暗い部屋の中で一人じっと、なんだか今日は部屋に吹き込む風が冷たいな、と思いながら、電気も付けず部屋で横たわっていた。ぼくは、外から街灯だか月明かりだか何だかよく分からない光が射し込む、この薄暗いのか明るいのか判断に困るような、特に音も無くただ風が吹き込んでくる部屋にいる。そうやってじっとしていると、目に見える、本の山とか机とかそういったものが見えなくなってしまったまま、静かな音を聞き続けていると、急に自分の身体が今いる世界から引き剥がされたような、からだと中身の境界が曖昧になって、出てきてしまった感傷の世界そのものに身を置いているような、言うなれば過去を回想してのんびり横たわっているようなシーンそのものに、自分がいま存在しているような、そんな不思議な感覚がある。ちなみにぼくは大人になっただれそれの青春記だとか若かりし頃を回想した随筆だとかがとても好きなので、なんだかそういったテイストで自分の昔を無性に書きたくなってしまった。とにかく、こんな気持ちは初めてだ。
毎度のことながら文章と前置きが長すぎるのは自覚している。そろそろ書きたいことを書いていこうと思う。


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二〇一六年、三月。ぼくは大阪にある有名な繁華街に位置する、無愛想な、もちろんと言っていのかもしれないけど、無機質なビルの前にいた。そう、それは世間一般で言うところの予備校であって、ぼくは受験した大学全てに落ち、高校だけは卒業するものの就職先も進学先もどこにもよるべが無い、日本では昔からふらふらとしていて留まる場所のない者を指すのに使われていたであろうものと同じ言葉で示されるところの、浪人だった。これは、なんとも言えないどんよりとした曇り空みたいな、というより見上げた空は全部曇り空に見えて、できることは無いように思え、とにかくどうしようもなくて、何も見えず、ただどうするでもなくひとまず動いてみるものの結局留まって、頑張って大きく息を吸ったり、そうかと思えば仰向けになってしまったりした、どういった風にも形容し難いぼくの一年を今さら綴った、スキのない惰性・モラトリアム記なのである。


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そんなコンクリートの建物の自動ドアをくぐる。中に入ると、これまた全く愛想のない、ねずみ色をしたコンクリートの空間が現れた。人はいない。空気も心なしか澱んでいる気がする。そう、まず大前提として、おおよそ「活気」などという風に言いあらわせるような空気は流れていなかった。
入口を入ってすぐ右手には、事務室がある。中では普通のサラリーマン風の、ワイシャツにスラックス、社員証のようなものをぶら下げた事務員が、パソコンに向かって作業をしている。事務員(以下、当時ぼくがそう呼んでいたように「職員」と呼称する)の数は多くなく、パッと見たところ十人もいなかった。なんだか侘しいな。これがぼくの素直な第一印象だった。
それもそのはず、実はこの予備校、昔、まあそれもバブル期やら受験ブームが高まっていた頃にはブイブイ言わせていた、知る人ぞ知るマンモス予備校だったらしいのだが、近年は少子化や浪人率の減少などといったあおりを受け、前年度に全国に数十あった校舎が大量閉鎖され、ぼくが入学した当時はわずか全国に八校が残されるだけであった。人が少ないのも当たり前である。ぼくの、予備校に対する漠然としたイメージといえば、エネルギーを余らせた若者がひしめき合い、そこらの机ではえいやえいやと生徒が勉学に勤しむ、さしずめ〈受験’s天国-heaven-〉といったような空間が展開されている、といったようなものであったが、ぼくの目の前には勉学に勤しむ云々以前に人がいない。机を囲む人なども、いない。まあ新学期が始まる前であるしそれもそうか、とそのときのぼくは思ったのであるが、その後そういった認識がほとんど誤りであること、つまり授業が始まったとて人はまばらである、もちろん活気もそこそこに無い、という事実を認識するに至るのはまだ少し先のことであったりするのだが。
さて、ぼくが本日何をしにきたのかというともちろん冷やかしに見物に来たりしたのではない。大抵の、というよりぼくの知る限りの予備校では入学時に受験する「学力試験」のようなものが存在する。これは、一般的な大学入試とは違い、入学の可否を判断するものではない。まあ「あまりにも」な点数を取ると入学を拒否されたりもするのだろうけれど、もちろん予備校なんてものは所詮商売であって、受験「産業」という業界で、顧客たる「受験生」に「合格」という商品を提供するサービス業であるので、ほとんどの場合門前払いを食らうことは無いであろう。さて、多くの予備校では、効率良く志望校に合わせた対策を行うと言う大義名分の元、志望校別にクラス分けがなされているのである。というわけで例のテストは入学してくる生徒を学力別に適切なクラスに振り分けるために行われるのである。なぜそういったクラス分けが必要かというと、まあ極端な例になるが、たとえば足し算引き算すらあやうい、アルファベットもうろ覚えの学生が東大受験を目指すクラスに入学したとて一年で合格するのはかなり難しいだろう。受験には運も必要と言われたりするが、たしかに一点刻みの点取りデスゲームではそういった要素があるのは否定しないが(そういった方法が大学という学問の府への入口として設定されていることの是非に関する議論はここではひとまず置いておこう)、そもそも運が絡んでくるような土俵に上がるためには、学習の基礎からの着実な積み重ねが必須なのである。ということで、そこらをしょうもない表情で闊歩する予備校生諸君は予備校側に入学可能なクラスを提示され、そしてまたしょうもない動機で大抵の場合入れるクラスでも一番上のクラスにしょうもなく入学するのである。しょうもない動機とはもちろん、「なるたけいい大学に入りたい!」という、見栄というか見栄や、まあつまるところ見栄などにまみれたしょうもない理由である。もしかするとみなさんはご存知でなかったかもしれないが、予備校生なんていう親の金で余分にモラトリアムを吸収し受験というただの点取りゲームをクリアするためだけに一年間も、それもただ高校の勉強をしてればいいというお墨付きを与えられたくせに口を開けば「つらい」、弁当を食った後にいうことと言えば「つらい」、成績が下がったときにも朝目覚めたときにもコンビニで買った春巻きを麦茶で流し込んだ後にも「つらい」と言う予備校生なんて存在は誰がどう見ても、コオロギの足元に転がる小石の上で這いつくばる微生物が見ても「しょうもない」のである。
かくいう、例に漏れず全力でしょうもなかったぼくは、ありがたいことに(本当にこんなだらしない奴になけなしの猶予を与え費用を捻出してくれた両親には感謝している)予備校に通う機会を与えられ、そのために件の学力試験を受けに来ていたのである。さて、先述したように生徒数が減り続け校舎も大量閉鎖されることになった予備校を、なぜわざわざ選んだのか。どうせならもっとメジャーなところを選べばよいのではないか。こんな斜陽たるクソミソ灰色コンクリート建造物の中で一年を過ごして何になるのか、とまでお思いになる向きもあられるかもしれない。なあに、選んだ理由は簡単だ。ここの予備校、生徒を呼び込みたいがためなのか単に人情に厚いのかそれともただな趣味なのか真偽は不明だが、ポンポンと容易く「授業料免除/減額」を出してくれることで噂だったのである。そしてもちろんと言っては何だがその免除基準は入学時の学力テストの成績によって決まるので、ぼくにとってこの日は外せない、大事な一日であった。
さて、ガラス張りの、まばらな職員で埋め尽くされている受付で手続きを済ませ、これまたしょうもないエレベーターに乗る。しょうもないエレベーターがしょうもない七階だか八階(ぼくの通っていた予備校は八階建てであった!)だかに着くと、しょうもない銀色のウォータークーラーとしょうもない廊下が見えた。はて、こんな所でぶっちゃけてどうするのだという感じだが、私は割とトイレが近いので、まず手始めに、意気揚々とトイレに行ったのである。このトイレは普通のトイレ行為ではない。とても重要な行い〈トイレ〉なのである。なんせ、試験中に尿意を催すなど言語道断、それによって集中が削がれ授業料減額の機を逸するなどあってはならない!さすれば人生で一番経済的損失を被った尿意となること間違いない。そんなの絶対嫌だ!ウン万円だかをドブに捨てて行う贅沢な用便などしとうない。と言うわけで事前に手を打ったぼくだったのだが、トイレはしょうもなくなかった。とても素晴らしかった。中は綺麗に手入れされ、とにかく広い。トイレは自動で流れ、大便器も自動水噴射装置(ウォシュレット)が完備され、自動水栓(自動で水が出る手洗い場)もあり、ちゃんと石鹸もある。ぼくはご満悦に、平和に用を足したのであった。

***

一体どんな問題が出されるのだろうと思っていたのだが、テストはかなり基本的なものであった。ぼくは高校時代は山岳部であり、使わなくなったのか無理やり占拠したのか分からない、教室の間、廊下の当たりに位置するとてつもなく目立つ場所にある倉庫に、リュックサックやら机やらを持ち込んだ、それまたとても狭い「部室」にて当時四人しかいなかった部員同士(全員男)で、ロクにトレーニングもせず「チェスvs将棋」をしたり、単にオセロを楽しんだり碁石を「チップ」にひたすらポーカーをしたりただ将棋をしたり将棋をしたかと思えば大富豪したりするなどしてとにかく怠惰に高校生活をやり抜いたぼくでも、なんとか解けるものであった。ただ、ぼくはべらぼうに数学が苦手だった(高一の最初の数Aの中間テストは13点だった)。数学の問題があまり解けない。辛うじて中学数学をウンウン唸りながら解いていると、無情にも試験終了のベルが鳴る。まあ、文系科目はそこそこであるかな、まあ何とかなったであろうと謎の楽観を、試験に落ちたばかりであるのに今回ちょいと解けたからといって調子に乗りつつ、いそいそと教室を出た。免除が出ていると嬉しいなあ…と呑気に階下に降り立った私であったが、さて、入るときは気が付かなかったのだが、玄関ドアから出てきたときに目に映った光景にぼくはギョッとした。目の前に広がるのは—そう、おおよそ教育機関が目の前に堂々と鎮座するのにはふさわしくないであるかもしれない建物群—横一列に怒涛に展開する「ラブホテル」であった。みなさんお分りだと思うが、このやる気のない見た目をした予備校はホテル街の目の前にでかでかと居座っていたのである…。前年度大量閉鎖がされ生徒数もほとんどいない、閑散とした予備校の前に静かに、威厳さえ持って聳え立つ巨大なラブホの連なり。そこに対照的、構造的意義を見出そうとしても中々難しいものがあるのだが、ぼくはピンクだか緑だか青に煌めくネオンをじっと横目に帰路に就いたのであった。(つづく)