ビラを配ろう

 俺はいま大学五回生だ。別に留年したのではなく、半年休学したからその分の埋め合わせを今行っているわけである。ただ、実は去年落としてはいけない単位を落としてしまい、シンプルに半年の留年が決まった。来季からデカいカネをどうにか捻出しなくてはならないのだが、アテは何もない。とりあえず今は何も考えていない。そして、やはり大学生活には身が入らない。

 

 誤解してほしくないのだがここでダラダラと日々の怠惰を書き連ねるつもりはない。確かに俺は怠惰であり得ないほどの怠け者であるが、やはり環境要因というものは存在する。2017年に同志社大学文学部英文学科に入学してからもう4年以上が経過したが、失望と失敗の4年間であった。

 

この文章は、どうしても他人に批判的にならざるを得ない。自分を棚にあげて人のせいにしているように見えるところも多々あると思う。しかし、全て私が実際に日々感じていることだし、それらを一度整理して書き出してみることは自らが行動を起す契機にもなりうるだろうと思い、あえてそのまま書いている。この文章を読んで不快感や嫌悪感を覚える人が出てくるかもしれないが、別にあなた個人の尊厳を否定するつもりは毛ほどもないのでそこはわかっておいてほしい。主に同世代の人間の行動や発言に対する私の疑義をこれから提示するのであって、その人個人を無造作に、暴力的に否定したり攻撃することが目的なのではない。それに、そもそも他人と接していれば不愉快な気分くらいにはなるものだろう。パッと聞いたときは嬉しかったけれど後で傷付いたり、反対に一瞬不快になったけれど後で情の裏返しだったんだろうなと思い返す、なんてこともあるだろう。だから瞬発的に生まれた快/不快という単純な反応に拘ることに意味は無い。そういった快/不快という単純な反応を超えて渡り合おうとしなければ他人とコミュニケーションなんてそもそも取れないだろうとも思う。何かの表明に対して単純な反応を起こし、ただそれをそのまま吐き出すような読者がいないことを願う。

 

 

ウンコカス同志社

 

 すごく丁寧かつ論理的に、繊細に、配慮して自分も批判されないように回りくどく注釈を重ねて、日々のイライラを文章にぶつけようと思っていたのだが、初っ端からやはりただの悪口になってしまった。実はここから同じ大学の同世代のみんなへのうらみつらみを、やわらか〜く書き連ね、でもそれはあなた方の為を思って言っていることでもあるし例外があるのももちろんわかってるしまあ俺もダメなところあるから一緒にガンバってこうね、的な当たり障りないノリでまとめようとおもったけど、無理だ。

 ただイライラを、ぶつけます。最後の言い訳を一言。「主語デカイ」ってこと、俺が一番わかってんねん。例外おるのわかっててこっちは話しとるし、集団における傾向とムードを批判しているのであるからそりゃ主語はデカなるねん。てか主語デカいって言っとけば何でも批判できたと思ってるそこのお前、○ちゃんねる作っていまインフルエンサー気取ってる、ひろ詭弁○き家、と大差ないからな。メタ的なとこばっか言うて勝ち誇るなちゃんと中身を精査してモノ言え。魂腐るで。某大手掲示板作ったかしらんなんかようわからんおっさん持ち上げてる若いお前ら、おまえら全員ダメ。適当コク悪い大人のケツ追っかけてしょうもない生活をヌコヌコチマチマ頑張って生きてといてな。俺には関わらんでほしい。

 

 話が逸れました。とりあえず俺は中○敦彦○のYouTube大学とかひ○○○とかが流行ってる現状に危機感を覚えとるわけです。あんなんウンウン見て納得したあかんやろ。確かに正しい内容の場合もあるやろうけど、あの話し方は危険やと思うぞ。実際「わかりやすい」みたいな感想いっぱいあるしフォロワー多いし謎に受け入れられてるし「良い人」的な扱いになってるけど、この風潮マジで良くない。何でもかんでも言い切るオトナに騙されすぎ。おれはあそこらへんほんまに危ないと思ってる。ハキハキ喋る奴に関して100%確定的に言えるのはハキハキ喋っているという事実だけであって、内容もハキハキしてるかどうかは別問題やと思うぞ。雰囲気見た目誠実っぽさに流されがちな風潮が広まると言い切って雰囲気バラまく奴がインフルエンサーとか言われるわけやんか。そいでインフルエンサーって呼び名が付くと、雰囲気に騙される人たちはますますその肩書に踊らされるわけで、結果どうなるかというと立ち止まって考えて、慎重にモノ言うよりうっすい知識でハキハキ断言してしまう方が正しい、影響もデカなって「好循環」ということになってまう。そういった人たちは昔からもちろん存在しただろうけれど、人気の度合いがますます加速して受け入れられているという状況こそが、マズい。もっとモニョモニョ考え抜いて言い切らないと、いい世の中なんて作れないんじゃないのか。そもそもああいった手合いは言語を参加者同士で組み立てて議論するというよりその枠組みをメタな所でズラして振る舞っているのだから、「そういう喋りの芸人さん」くらいの受容の仕方が良いと思います。

 

 あと同世代への悪口もう一つ。みんなラベリング好きすぎちゃう?「こいつ○○っぽい」「おまえ△△ノリやなw」みたいな。陰キャ/陽キャとかカーストどうのこうの、とか。○○系男子/女子みたいな。確かにそういうワードがひとまず話を進めやすくしたり、軽い冗談くらいで言う分には問題ないやろし俺もたまにそういうことを流れで言ってまうけど、そればっかで話してたら頭硬くなりません?深く他人の性質について考えたり、できなくなりません?周りの人間をキャラ的に消費して表層的な理解しかしなくなりません?人間って矛盾に満ちていて、捉えどころの無い小宇宙や思うんやけど、あんまりにもキャラとして見過ぎちゃうかな。そんなんできっちり、ソイツと話して、深い仲なれるんか、と思うわけです。他人を単純なくくりに入れて言語的に消費してまうことはある種の暴力やろとも思うわけです。人と面と向かってるのに、言葉に呑まれるだけ、みたいな奇妙な状況に陥らへんかそれ?と思うんですよね。人をネタにしてるときって、そのネタに自分が遊ばれてんねんで。

 

 

 と、ここまでうらみつらみを書き殴ってみたわけですが、意外と大したことないですね…。ぼく、結構上のことにイライラしていて、いつか文章に起こして徹底的に批判したろ、一度書き連ねたらもう止まらんくなってコテンパテンのボコボコにできるわ、もうそれは論理的かつパンチのある壮大な大長文が爆誕するんや、とおもてましたが現実はこんなもんで、僕はいまベッドでヘラヘラ横になりながら、あーロシア語の課題6週間くらい出してへんなとぼんやり思っとるわけですね。そいで、思ってること吐き出してキモチよーなっとるわけです。人間、どうしようもないですわほんま。何かをやればやるほどに、自分という存在がいかに卑近なモンやったのかを思い知るわけですね。

 

いやあ、厳しい。生きてくって、厳しいなホンマ。もう、ワイすっきりしてもうた。はあ。自分、しょうもな…。

 

 今日は、まあまあな1日やったかな。部屋の片付けでもして、寝ます。おれ、ひ○詭弁ゆきは心の底からアカンと思うけど、あいつをモノマネしてる人のネタはまあまあおもろいと思ってんねんな。まあ、芸人さんやと思って接してるんですが、ぼくも確かにネタ的にモノを消費してしまっているんやなということに気づいて、どこまでも潔癖であろうと、させようとすることはほんまにええことなんやろかと疑問に思いつつ、でもそこらへんの微妙さを無視した「言い切り」をハンパやない強度と裏付けでなし得てこそ一人前なのかもなと思い、やっぱ俺はもっと勉強せな、激しくやっていき確立していかなと思って、まあでも明日もフラフラ特になんもせず過ごすんやろとは直観していて、このどうしようもなさに逃げてええんかなと思いながら、ゆっくりやってくしかないなと思って、この文章を終わります。よい明日を。

2021.6.10