僕はラジオ

まあ、そろそろ人生の中でも、潮時かなという気がしてきた。毎日寒くてやってられないが、なんとなく憂鬱だが、めんどくさいがりだが、やはり、楽しくて幸福な瞬間も多々あり、大事にしたい人間や友人もいるし、家族にはこれ以上迷惑をかけられない。つまりは、やっていくしかないのである。

 

頑張る、という筋肉を忘れて久しい。高校に入ったとき、つまり8年ほど前に頑張る筋肉が、消えた。頑張ろうとして、頑張れず高校時代は沈み、大学では諦めることの素晴らしさを知った。徹底的に諦める続けることによる、前進。

 

前進、できると思っていたが、まあ、そんなに上手く物事は進まない。諦めているときにでも何かを為す必要が出てくることはあるし、やはり俺の身体は一つだが、一人の人間の生は、それ自体では完結しないのだ。多様な人間に影響を及ぼし、及ばされ、進んでいく。こんなにつまらない結論に至ってしまう自分に驚きを隠せないが、まあ、やはり何事にも潮時というものはある。

 

うにゃうにゃ、あいまいにてきとうにやっているのが自分の良さではないかと思っていたけれど、まあ、簡単な話でダラダラし続けるのも飽きるのだ。飽きてもなお、ダラダラしてしまうときに人は鬱になる。我々は冬に勝つ必要がある。この、やたらと低い、意味のわからない季節に抗う必要があるのだ。冬を、倒そう。頑張りはしない。無理もしない。やりたいことは相変わらずやらない。ただ、保留することをやめてみることにする。何度も言うが、そして何度他人に言っても仕方がないのだが、今は潮時なのだ。

 

そう、自分に言い聞かせる。やってくれよ。頼むぞ、自分。どうにか、形になってほしい。

さようなら。甘くて怠惰な日々。

(2021.10.21)