結局、やはり、何がしたいのかわからない

俺は一体何がしたいんだろうか

 

 睡眠不足は身体を殺す。今日は中々にキツい一日だった。とても楽しかったのだけれど、営業が終わってからの眠気が尋常ではなかった。昨日の夜は親友と二人で、一晩中語り明かした。お互いを尊敬し合う、そんな仲で、自分の中にある衝動をいかに発散させるか、というのが共通の悩みだった。ように、思う。そして、やはり俺はこう思ったのだった。俺は一体何がしたいのだろうか。

 至った結論としては、やっぱ思いついたことをポンポンやりたいよね、というものだ。中にあるモノを全部出したい。そう言った。言ったけれど、本当にそうなのだろうか。なんだか、今は何も考えたくない。全ての流れから切断されたい。そもそも、頭が働いていないので文章も支離滅裂だろう。

 実際にやりたいことはあるのだが、それを行動に移すことが中々できない。今、苦しんでいるという状況はその乖離で説明できるだろう。ナイーヴになってるとかメンタルがどうのとかもっと高尚な悩みとかではなく、動く案はポンポン出ているのに動けない。この俗で初歩的な悩みがほとんど全てのように思う。

 自分はなぜこんなにも動くことに執着しているのだろうか。なぜ人と違うことをどうしてもやりたがるのだろうか。本当に何もわからない。突き抜けて日常を破壊したいのに、できない。できないというより、やりたくない。なぜなら疲れるから。じっとしておきたいのに、じっとしたくない。かといって動きたいかというと、動くと疲れるからじっとしておきたい。このループから、抜け出せない。グルグル、回っている。

 また、何が書きたいのかわからなくなった。生きるってこういうことなのだろうか。恐らく違う。自分とは合わない水の中で、ジタバタしている内に持っていたものを忘れてしまった気がする。本当に、これなのだろうか。昔は今と同じく悶えていたけれど、持つべきものは持っていたはずだ。それが今やそれすら無くなってしまった。個人の存立の危機。とりあえず、今は何も考えたくないし何もやりたくない。別に何かがあった訳では一切無い。ただ寝不足だからこんな思考になっているのかもしれない。でも、本当に、俺は一体何がしたいのだろうか。楽しいことはいっぱいあるし周りの人達と友にはとてつもなく恵まれたし有り難さというものを感じるけれど、生きている感じがしない。ヘトヘトになって、死にそうになったときにしか、残念ながら生の実感が得られない。でも、俺はヘトヘトになりたくない。温かい風呂に入ってバイクの走行動画を見ながらまどろんで、寝たい。起きて、なか卯で和風牛丼大盛と竜田揚げ3個合わせて670円を食べて、だらだら店開けて暇なときは本読んでお客さん来たら談笑してチンタラ過ごしたい。

 でも、俺はやはりなか卯に行くまでの道に存在する同志社大学を変えたいと思うし、喫煙所を設置したいし、経営を考えると暇な時にだらだら本なんて読んでいる暇はなくてイベントとか新メニューとか内装とか運営面で考えることはおびただしい数に上るし、そこで表現したいことと内的衝動に向き合わないと窮屈になるし、何か爪痕を残さないといけない、という強迫観念にはいつも駆られている。

 まあ、もうちゃんと起きるとか考えないでおこうか。LINEくらいは返そう。はあ。今日も、隣の部屋からデカい喘ぎ声が聞こえる。毎晩女が叫んでいる。とりあえず、ギリギリになって苦しくなろう。人生は、苦しい。

2021.7.11