京都はヤバい

京都はヤバいところだ。

あまりにも住みやすい。

京都には2020年から住み始めた。大学に通うためだ。とはいえ、入学してから数年が経っており、それまでは実家から電車で通学していた。なぜ一人で暮らしはじめたのか、端的に実家が息苦しくなったからである。自由になりたい。ただ、それだけ。とはいえそんなすんなり一人で暮らすことを許されるわけでもなく、資金援助も受けられないのでやっすいアパートに住むことにした。ジモティーという、地元の人間同士でモノをあげたり貰ったりできるサイトで家を探す。このジモティー、なかなか怪しい面もあり、たまに思わぬ掘り出し物がある。一番凄かったのは「アパート一棟 月三万円」というものである。一部屋ではなく、一棟だ。ただ、半端ではないボロさではあったが。

鮮明に覚えている。あれは確か2020年の4月だ。何日もジモティーはじめ不動産ポータルサイトにかじりつくが、中々良い物件に出会えない・・・。と、嘆いていると、あった。

「一軒家 光熱費込み ゼロ円」

怪しすぎる。どう考えても罠ワナにしか思えない。住んだら最後、夜中に無理やり麻袋にでも詰められてコンテナ船にブチ込まれて香港にでも売り飛ばされるに違いない。内臓何個かなくなるだろ。危なすぎる。

というわけで、契約のために俺は北大路ビブレ(当時はイオンではなくビブレだった)のスターバックス(当時はあった)前で突っ立ていた。印鑑と身分証もきちんと用意してある。どんなに怪しかろうが、家賃タダには勝てん。しかも家賃だけじゃなく光熱費までもゼロ円!おトクを通り越してもはや意味不明である。怪奇現象。

すると、40代くらいの身なりが綺麗な女性がやってきた。大家さんだ。金ピカ腕時計付けた角刈りのグラサン親父でも出てきたらどうしようかと思っていたので、ひとまず安心した。とりあえず香港で腎臓をなくすことにはならなさそうだ。しかも、なんとスタバでコーヒーまで奢ってもらってしまった。めちゃくちゃ良い人。家借りにきたらなんか収益発生してんだけど。てか家賃光熱費全てタダだから本当に儲かってる!こんなことってあるんだ!人生すげえ!と感動しながら喜んでハンコをバンバン押しまくった。

「でも、ちょっとアクセス悪いので、そこは我慢してくださいね。」

ほう、まあ悪いとは言っても駅から少し遠いくらいだろうと思っていたが、違った。

その家は「原谷」という場所にあった。

 

 

画像の青いピンが立っている場所である。金閣寺の裏の山にある、小さな盆地のような場所だ。きっちりとした山の上にある。ゆえに急な坂が連続し、自転車を漕ぐのはほぼ不可能と考えて良い。特に頂上に着く手前のヘアピンカーブの傾斜がもの凄い。一度オンボロのカブに乗って行ったことがあるのだが、途中で白煙を上げてエンジンがストップしてしまったことがある。

そう、俺は京都でのハッピー碁盤の目鴨川のんびりライフを満喫しようと思っていたが、初っ端から熊イノシシまで出る謎の山の上に住むことになったのである・・・。

 

しかし、原谷ライフは悪くはなかった。普通に楽しかった。良いところを挙げると、まず家賃がゼロ円である。そして光熱費もゼロ円である。あまりにも良い。これ以上良いことなんて無い。さらにそのうえ、大家さんが良い人すぎてなんと冷蔵庫には「スパム」が入っていた!あの肉みたいな缶詰だ。「焼いたらおいしいです。焼けたら写真くださいね♪」なんてメールまで送られてきたので、もうそれは執拗に切り刻み焼きまくって撮りきっちり写真を献上した。「上手♪」と褒められた。タダで一軒家に住み、スパム貰って焼き加減を褒められる。人生は数奇である。ちなみにこの家、四階建てであった。あまりにもデカすぎて帰るたび一人でウケていた。なんならでっけえガレージもついている。部屋はちなみに五個あった。俺以外におるか、初の一人暮らしで5LDK(ガレージ付)住んでたやつ?あとたまに庭に猫がきていた。かわいい。あと静か。京都のゴチャゴチャも好きだが、こう寺社仏閣を見下ろす場所でのんびり過ごすというのもオツである。夜景も綺麗に見える。ただ、スーパーが存在しないのには困った。わざわざ原チャで「下界」に買い物に行く必要がある。それと飲みに行くのも大変である。一応市バスはあるのだが、なんと20時で終電なのでまともに飲めない!しかたなく、40分歩いて下り、わら天神のはま寿司で寿司食ってバスに乗って帰ったこともあったな。友達を呼ぶとみんな爆笑してくれるのでそれも楽しかった。やっぱ四階立てで部屋五個あるのめっちゃウケるらしい。テレビはなかったので、これまた大家さんがラジオを置いてくれた。一軒家で毎朝ラジオを聴きながら支度をするのはとても愉快である。そのときはちょうどコロナウイルスの感染拡大が社会を騒がせていた時期であり、大学の授業も一切存在しなかった。毎日山の上でラジオを聴きながら一人で過ごし、図らずも完璧な隔離をセルフで成し遂げていたわけだ。

ただ、やはりどうしてもふらっと夜散歩に出て寺に行ったりしたい。鴨川を眺めてみたい。原谷だと、あるのは「開拓記念公園」「ミニストップ」「ファミマ」「バス停」くらいのものである。それゆえ、1ヶ月で住むのをやめてしまった。いやあ、しかし楽しかったなあ。

さあ、このあとは出町柳などいかにも人気なスポットに住み念願の京都生活を始めるのかと思いきや、色々あって今度は京都市南部、十条に住むことになるのだった。

京都駅よりもさらに南、国道や高速道路近く。ザ・ロードサイド。

それも「シェアハウス」という名の、窓エアコン無しワンルーム。そう、あの部屋には窓が無かったのだ。夏マジヤバかったなあ・・・。

まともに京都ライフを満喫するのは、まだまだ先のことである。十条での話はまたいつか。

(つづく)