大陸での日々

朝。七時ちょうどにベッドから目を覚ます。それと同時に、真隣の小学校から音楽が鳴り響く。いかにも子供向けといった風情。そのあとアナウンスが鳴り響く。「ファーストフードは『ゴミ食品(垃圾食品)』と呼びます。」全部中国語だ。おれは、中国にいる。しかし、なんでファーストフードのネガキャンを朝からしているのだろうか。謎である。

部屋のカーテンは青で、日光が気持ち良く差し込む。中国の北部なので、11月ともなると肌寒い。床はひんやりと冷たい。リノリウム、と呼ぶのか。大理石でもないしな。ひとまず、ツルツルの、床。

四月から新卒で会社に入る。ずっと、ひとりで何かを成し遂げてそれで食っていこうと思っていたけど、端的に言って夢破れた。本当は九月から宇和島で月五千円で広い一軒家を借りて住もうと思っていたけど、色々あってここで働く、というか半分インターンのような経験をさせてもらえることになった。この選択が正しいのかは、わからない。ただ、いつまでもふらふら、海沿いで暮らそうとする自分を許せなくなったというのはあるかもしれない。自分で自分を、ギッチリ縛りたくなる。そんな欲望との、闘い。人間は完全なる自由には耐えられない、なんてありがちな文句があるけれど、あながち間違いではないのかもしれない。何か枠組みが欲しい。それも、「ちゃんとしている」何か。

布団を畳んで、歯を磨く。毎朝七時に起きて洗顔して髭まで剃っている。なんて健康なんだ。京都にいた頃からは考えられない。昼過ぎに起きて、ラーメンばかり食っていた毎日。あれはあれで楽しかったけれども。

食堂は七時半きっかりに開く。だから二十八分に出る。隣の棟だから、この時間に出るのが完璧なのである。朝食はお粥だったり水餃子だったり、適当な漬物だったり。無骨なアルミプレートに、兄ちゃんが盛ってくれる。適当に。だから、量がすごく多い。でも、なんだか負けたくないから、食べる。

そのあと別の棟に行って出勤、とはいえ、ひまだ。Excelで適当に書類を作るだけなので、一週間の実労働時間は冗談抜きで、多分五時間くらい。冗談抜きで。後は仕事に関係する本を、中国語だけど、読む。朝四時間読む。昼を食べる。今度は五時間読む。六時きっかりに終業して、そのまま食堂に行く。白米はない。マントウという、デカくて白い無味乾燥の饅頭と、カリフラワーを食う。カリフラワーがじゃがいもの千切りだったこともある。恐ろしく炭水化物を摂取せざるを得ないわけだ。その後は宿舎に帰る。まず、外には出れない。いや、出られるのだが、イオンのようなショッピングモールくらいしかないので出てもやることが本気でない。市街地から離れた、工場地帯なので歩いていける範囲に遊べるような場所がない。なので、必然的に部屋で過ごすことになる。部屋では、ひたすら中国のクソ動画を見て中国口語を勉強する。頭が悪くなること間違いなしの低レベルなゴミ動画をひたすら見続ける。気がおかしくなりそうになるギリギリで止め、今度はドラマを見る。しかし大体がエイリアンみたいに白い顔をした不気味な俳優がわんさか出てくるトレンディドラマだ。これも気が狂いそうになるのでカス動画に戻る。「物価高の深圳で暮らす安月給男の一日」「痴話喧嘩」「嘘くさい防犯カメラ映像」延々と流す。運動しなきゃ、と思って筋トレをする。冷たい床の上で。あとは単語帳を立ってひたすら音読する。そして、〇時頃には就寝。翌朝、七時に小学校のアナウンスに起こされる。全く同じ、アナウンス。

事件は恐ろしいほど起こらない。オフィスは俺を含めてたったの四人。「今中国は景気悪いからね〜。仕事あんま無いよ」仕事がなさすぎて工場見学を何回もした。もう見るものないんだけどな。

でも、そんな日々の中に愛おしさはある。目の前の席のおばちゃんが、昼になると一緒に食堂に連れてってくれる。その瞬間の、解放感。天気が良いときだと、食堂までの移動がいい散歩になる。晴れた空を見る。気持ちがいい。

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隣の席の人が、やたらと塩辛いきゅうりの漬物を山盛りくれたときもあった。あと、昼寝の時間があるのが最高。昼はとても静か。陽が差す部屋で横になってまどろむ時間は至福そのものである。オフィスでは、また別のおばちゃんがりんごをくれたりした。一時期毎日貰ったものだから、七個くらい溜まった瞬間がある。ログインボーナスだね。あとは栗とか、硬くてしょうがないパンとか。食べた瞬間に口の中が一気に乾燥する類のもの。おむつの代わりにでも使えるだろうな。

ここに来るまで、フルタイムで働くことは絶対無理だと思っていた。なんにも楽しくないじゃないか。すぐに逃げ出してしまうだろう。でも、繰り返される日常の中にもしっかりと幸福はある。まあ、空が青いだけで色々許せてしまいそうになる。京都という箱庭に立て籠って、世の中を全否定していたあの頃の自分を少しずつ解凍する。そんな、夏から秋にかけてだったのかもしれない。ひとまず、工場のみんな元気でやってくれ。また、会いに行こう。りんごでも持っていこうかな。いや、空港で没収されるか。