『平凡的世界』という小説を、同じオフィスの、いつも俺に仕事を教えてくれるおばちゃんがおすすめしてくれた。9月のことだ。日本語にすると『平凡な世界』。70年代中国が舞台とのこと。
いきなり俺におすすめしてくれて、実際に現物まで持ってきてくれた。その頃はパラパラ眺めても書いてある意味がわからなかったけど。
そして、今日、11月14日。あと3日でこの地を去るという日。いつも通り食堂でおばちゃんと昼飯を食べながら雑談していた。
「そういえば昔おすすめしてくれた『平凡的世界』、買って読もうと思ってるんだよね〜。」
「ほんと?読んでみて。ネットで買うのがおすすめかな。書店では手に入らないかも。」
こうして会話は終わり、ふと誕生日の話題を出してみる。
「中国では誕生日どうやって祝うの?」
「あー…」
中国も同じようにケーキを買って、プレゼントを渡すそう。外食するときもあればしないときもある。
「実はね、今日は息子の親友の誕生日なんだ。」
かくいう親友は、今年のはじめ、大きな橋の上から川に飛び込んでしまった。オフィスで仕事をしながら、おばちゃんは目を赤らめながらその話を聞かせてくれたのだった。
「今日はお墓参りに行くみたい。誕生日だからね」
どう反応していいのか、わからくなる。なんとなく、スープを飲む。ぬるい。
「『平凡的世界』もね、彼が亡くなってから息子にあげたんだ。この世界は平凡であることを伝えたかった。」
『平凡的世界』
世界一大事だと思える人がいなくなっても、世界は続いていく。どんなに劇的なことが起きても、世界は平凡なままだ。何もショックなんかじゃない。ただ平凡なままなんだよ。しばらく学校に行けなくなった息子にどう声を掛けるか悩んだすえの、母の愛の形。ただ、この世界を、そのままで生きていくだけ。
そして、似たようなことが自分の周りでもかつて起きた。そして、そのことでずっとわだかまっていたものがあった。おばちゃんの言葉は自分の胸にも深く突き刺さる。俺にこの本をおすすめしてくれたのは、俺から何かを感じ取ってくれたからなのかもしれない。
平凡な世界。確かにな。おれもこうして、のんびりご飯を食べて、昼休みは陽の当たる部屋で昼寝をしている。考えたって何もわかりやしない。どこまでいっても、平凡なままだ。この世に何も劇的なことなんてない。
土曜、この場所を離れる。けれども、この昼食の光景はずっとどこかにこびり付き続けるのだろうな。ただ、そのまま。ずっと。だらだらと。
(2023/11/14)