グッドバイ、18きっぷ

思い入れのあるものについて書き記そうとしたって、その魂の十分の一だって書き表せやしない。終わってしまったものについて、郷愁を交えて何かを示すことはまあ、簡単だ。なぜなら終わってしまい、確かな距離があるのだから。

青春18きっぷの複数人使用が終了し、連続使用が条件になった。今までは2000円と少しでどこまでも行くことのできたきっぷが、使えなくなってしまった。今年の夏、俺もきっぷを買ったものの、単なる移動に2回使っただけで、あとは家族と友人に譲ってしまった。思う存分、一度きりの自由の旅を楽しんでおけばよかった感は正直あるが、まあ、仕方がない。

移動を生きがいとしている俺にとって、18きっぷはまさに、自由への切符だった。たったの2000円で、本当に、時間と体力が許せば何処へだって行ける。自分の身体が延々と張り巡らされた鉄路を伝って伸びていく感覚。移動の欲求と自由への渇望、人間の根源的な望み全てを満たす魔法こそが、18きっぷだった。

ダメだ。どう書いてもエモーショナルになってしまう。その存在を初めて知ったのは小学五年生のときだ。親友のユウイチ君が、「おかんから貰ってん。これで北陸行くねん。」と自慢気に話していたことを、今でも思い出す。というか、俺は人のぽろっと言った何気ない一言をずっと覚えていて、ある日それがカチッと小さな爆発を起こして行動が変わる、みたいなことが連続しているように思う。大学3回生の頃、5.5万円で買った台湾のSYMという謎のメーカーのスクーターの後ろにサークルの友達を乗せて2ケツで京都から舞鶴へ行ったとき、比叡山あたりの山道で「とあるスキンヘッドの合宿に行ったんだよね。」という話を、風切り音のなるヘルメット越しに聞き、そして翌年、とあるスキンヘッドの合宿に行ったりしたのだった。

話が逸れた。中学から高校に上がり、制服さえない自由な高校だったこともあり、俺は急速に堕落していった。1年1学期の数学Ⅰのテストは13点であり、そして思春期特有の虚無感に襲われ始めた。成績は恐ろしい低空飛行を続け、ほうした中、1年から2年になる春休みの3月、アニメジャパンというフェスに友人と共に行くことになった。それは東京で行われていたからどうにかして安く行く方法を考えた末に行き着いたのが、18きっぷだった。これしかない。本当は500円で行きたかったけど2000円ちょいでイケる。当時はまだ存在していたムーンライトながらという、岐阜県大垣市から東京まで走る夜行快速に乗り、男子高校生4人で、東京へ行った。

自由だった。バイトもせず、そして俺は小遣いを1円たりとも貰っていなかったので、こんなに遠出できたことが新鮮な感動だった。(費用は親と学校に内緒で引越しの単発バイトをして貯めた。今でも覚えているがフルで働いて7000円と少しの給料だった。今から考えると安すぎるが、当時は「大金!」と興奮しながら手渡しの袋を受け取ったのを鮮明に覚えている。)

そこから俺は毎度の休み、18きっぷを使って遠征を続けた。高2の夏にはいきなり新潟まで行った。新潟のサイゼリヤで、パンプキンスープを頼んで夜を明かした。終電で新潟に行き、始発で新潟から大阪へ帰った。その頃は直江津あたりがまだ三セク化されておらず、全て18きっぷで乗り通せた。冬休みは意味もなくムーンライトながらに乗った。春休みには大して仲良くない後輩と二人でムーンライトながらに乗って東京に行き、着いた朝に大阪へ引き返した。めちゃくちゃムーンライトながらには乗った。高3の春休み、浪人が決まった春には四国を一周した。大学でも毎回の長期休暇は必ず18きっぷを使った。北海道に行った。青森を回った。秋田に行った。福島に行った。BRTにも乗った。友達と乱数生成アプリでダーツの旅をして、山梨に行った。高校の友人と富山に行った。サークルの仲間と紀伊半島を一周した。ありえないほど、無意味に大阪と東京を往復した。本当に何往復したかわからない。8時間鉄道に乗ることが平気になった。会いたい人に会うために乗った。気になっていた先輩と東京で飲むことになって、その為に乗った。電車に乗っているあいだ、ずっとソワソワしていた。バーを始めたあとも、乗り続けた。シーズンの度に、18きっぷを使った。自由に浸る。どこまでも行く。ふとした停車駅で降りる。二度と訪れることのない場所で、ゆっくり息を吸う。悩んだまま鉄道に乗る。揺れたまま悩み続ける。駅前のうどん屋に入る。床はねちゃっとしていて、店の婆さんが元気だったりしてふと嬉しい気持ちになる。山陰本線を乗り潰そうとして、運休になり、仕方なく夜通し30キロ歩いたこともあった。

身体のリズムは、18きっぷによって作られていた。休みの季節だ。18きっぷだ。自由を体現した、長方形の青色のきっぷがやってくる。それは正月の到来にも近い感覚だった。「気合いを出せば18きっぷで行けるな。」この感覚が、僕にとっての救いそのものだった。揺れて、とてつもなく不安定な思春期を、青春18きっぷで乗り切った。

18きっぷの連続使用義務化と複数人使用の禁止のニュースを見たとき、僕は松江にいた。ちょうど去年の夏、18きっぷを使って豊岡あたりにいて、電車が運休になり、ヒッチハイクしてひたすら歩いてバスに乗って、やっとの思いで辿り着いた松江という街を、夜ぶらりと歩いていたときに目にした。出張で着いた松江駅を外から眺めて、色んなところに今までよく行ったなあ、と浸っていた感慨が、本物になってしまった。

今は働いている。結局、今年の夏も親友と東京に行くときに18きっぷを使うはずだったのだが、急遽前日、新幹線を使うことにした。理由は「しんどいな。」という単純なものだった。いつもは必ず5回分使い切っていたのに、今年の夏だけは3回余らせた。移動目的のみで全部使おうと計画していた。ぶらりとした旅の為に使うつもりさえなかった。そして余らせた3回分は、新幹線に乗った。潮時といえば潮時だったようにも思う。ちょうど、本当に、青春18きっぷが終わった。様々な足音と共に。

グッドバイ、18きっぷ