なんで俺はこんなに東海道を往復しているのだろうか?より正確にいうと、なぜこんなに大阪東京間を往復しているのだろうか?
初めて東京に行ったのは、小学一年のときだ。恐らく。親戚に会いに新幹線に乗り、やたらと興奮したのを覚えている。両親にはディズニーに連れて行ってもらった。そこから中学生になり、高校に入る。そのあたりから移動に目覚め、うーんいつだろうたしか、高校一年の冬に「アニメジャパン」というアニメフェスが幕張かビックサイトであって、そこに友達と一緒に行ったのだった。あの頃はまだムーンライトながらという夜行列車があり、岐阜の大垣から東京に行けたのだった。そこで18切符の味を知った、ような気がする。
それから、長期休暇に入るたびに東京に行った。特に理由もない。ただただなぜか東京に行った。無意味にムーンライトながらに乗り東京に行った。高二の冬はママチャリで東京に行こうとした。失敗して名古屋でチャリ捨てて、大阪に帰った。親からは捜索願いを出された。とりあえず、友達を誘って夜行列車で東京に行き、翌日また18切符で帰ったりした。意味不明である。誰もいない表参道を歩いた。何も買わずに竹下通りを歩いた。
東京が好きなのか、と言われれば微妙だ。かといって嫌いでもない。山手線は疲れるし、地下鉄は深すぎてダルい。惹かれているわけではないと、断言できる。でも、なぜか行きたくなる。ヒマになったらとりあえず東京に行ってしまう。概算で三十回以上は鈍行で東京大阪を往復している。もはや静岡ロングシート区間などなんとも思わん。ママチャリに比べれば18切符移動なんて屁でもない。
二月末で仕事の契約が終わり、三月ヒマになった。だから東京に来た。いや、今回はイベントがあったのもあるのだが、でも何もなくても多分来ていた。東京でママチャリではなくロードバイクをゲットして、走って大阪に帰ろうとした。実は浪人の春にママチャリで大阪から東京に行ったことがある。雨の中二泊三日した。全部道路で寝た。植え込みの中で、雨の中寝たし、まあ今だから言うが雨の中のマンションの駐輪場で寝た。バッチリ低体温になって四時間動けなくなってマクドでアップルパイを食べて生き返ったし、ロードバイクで神戸から東京に行こうとしているお兄さんと、たしか三重のコンビニで出会ってお互い励まし合った。ダンプがひしめく砕石場の隣でぐっすり寝た。間違ってバイパスを夜中に爆走してしまい、「なんか路肩が狭いな」と思ったら警察に捕まった。静岡県警は「どこから来たの?」と不審そうに俺に職務質問し、「大阪から来ました」と答えると「お、おう…」という反応になった。「気をつけろよ〜」みたいな感じで終わった。
コロナの夏、なんかいきなり何も計画せずにスクーターで東京に行った。往復した。その前の年も無意味にクルマで東京と京都を往復した。東京ではスタ丼だけを食べて帰った。
東海道に呪われているのかもしれない。もう、正直飽きた。でも、今日も東京から大阪に向けてロードバイクを漕いだ。「この風景何回目やねん」という感想しかなかった。あまりにも楽しくなさすぎて笑えたきた。今年の秋も車で東京にそういえば行った。あれはイクイノックスに会うためだったけれど。元気かな、イクイノックス。
今朝出発して静岡に着く予定だった。軽さ第一、ということでリュックも上着も全部ゆうパックで送るために郵便局に行った。二千円円近く払った。それで、郵便局を出た。雨が降っていた。
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雨?想定してもいなかった。なんだか知らないが、俺は天気予報を事前にチェックできない病気にかかっているらしく、この間彼女を登山に誘ったときも急に雨になって中止になってしまった。申し訳ない。「やっぱ天気予報は見なあかんな」と反省の弁を述べたばかりであるにもかかわらず、同じことをやらかした。しかも今回はダメージがデカい。冷静に考えて、雨具どころか羽織る上着さえない状態で二百キロも漕げるわけがない。なんで天気予報を見なかったんだろう?しかも、郵便局に入る前であればまだ上着諸々が手元にあったし、なんなら漕がずにそのまま電車に乗るという判断もできた。何もかも噛み合っていない。仕方なく、というよりそれ以外することもないので、漕ぐ。都内はストレスフルだ。車も人も多い。でも法務省だの国会議事堂が見られたのは良かった。デカい建造物は人を元気にする。雨もかなりの小雨で、これだったれイケそうかなと思う。順調に多摩川を越えて神奈川県川崎市へ。スーパーで休憩。イケそう。再び漕ぎ出す。ロードバイクの乗り方にも慣れてきたし、何よりもママチャリと比べて全然疲れない。ギアがたくさんついているから坂道に合わせて細かくアジャストできるし、軽いから漕ぎやすい。ちょっと感動した。疲労度がまるで違う。というか、変速機も無いママチャリをよく昔は何百キロも漕げたな…。この快楽を知ると元には戻れないなと、思う。
しかし、九十分ほど漕いだあたりで、やや雨が強くなってきた。そしてそいつらがダイレクトに身体に直撃する。加えてチャリはビュンビュン走るわけで、体温がゴッソリ奪われる。ヤバい。八年前、低体温症になりかけて数時間うずくまっていた悪夢が蘇る。と、ちょうど良いところにマクドナルドがあり、小休止を取り、身体が温まるのを待っていると小一時間が経過。いやあ、無理かもなと思いつつ漕ぐ。
やっぱ無理だ。寒すぎる。上着を買うしかない。これまたちょうどすぐ隣にバイク用品店があった。
プランA。ここから新横浜に行き、新幹線に乗る。すぐ大阪に戻れる。そこから体調を整え、大阪で走り込み、同時に準備に時間をかける。幸い明日の大阪はそんなに雨が降らない予報だ。費用は新幹線運賃の一万四千円。
プランB。バイク用品店でウェアを買って、続行。ウェアは三千五百円。そこに宿泊が四千円だとすると、かかる費用は大体八千円ほど。
費用だけで比較すると、差額は六千円。微妙なところだ。ただ、関東東海は明日も雨が降る。
俺が達成したいのは、大阪から東京まで二十四時間以内に走り切ることだ。決行は八日の早朝。それまでの二日間で、雨の中体力を消耗するのは賢明ではない。本当に達成したいことを見誤ってはいけない。ここは無理するべきではない。
そういうわけで、東海道新幹線に乗っている。判断としては恐らく正しい。しかし、と思う。もうすぐ名古屋。高速で風景は移ろう。この三日後に、またおれはチャリで東京に行く。一万五千円もかけてせっかく大阪に帰ったのに、また東京に、しかもチャリを何十時間も漕いで、行く。なぜだ。もう意味がわからない。こんなことにカネを使っていて良いのだろうか?もっと美味しいご飯が食べられた。飲み会だって何回もできる。ちょっと良い舞台だって見られるし、温泉にも入れる。映画もたくさん観れる。なのに、たかだか二時間と少しの移動にこんな大金を注ぎ込んでいる。それも、三日後にはふいになる移動に。呪いだ。これは東海道の、呪いだ。
まあ、とにかく漕ぐか。わざわざ漕ぐためだけに帰ってきたのだから。
しかし、東京に着いたら何をしようか?