日記(12/6)

文庫本を買った。気まぐれだった。大学に入ってからというもの、いやそもそも高校あたりから本は買わなくなったように思う。わりと頻繁に、大学の書店をぶらつくことはあるものの、結局のところ何も買わずに、店を出る。買うとしても教科書とか勉強関連の本くらいだ(読むか読まないかはまた別の話)。それが今日はなんとそこそこ分厚い文庫本が、ブックカバーなんか付けられたりして自分の手の中にすっぽり収まってる。ひさびさに本を手に取る喜びを味わえたような気もする。あまりにも本を買うことがないので鮮明に覚えているのだが、文庫本を買うのは大学に入って二度目である。一度目はいつだったか、去年だったような。そのとき買ったのも今手にあるのと同じ作家の本で、ぼくはこの作家の本を中学の頃から愛読していた。彼との最初の出会いは中学一年の頃まで遡る。ぼくは地元の中学に通っていたのだけれど、ほら、あるじゃないか、有名な通信教育大手、進学を研究してそうなゼミナールを運営してそうなチャレンジに富む、ほら有名なベネッあの会社だ。おっと危ない何かが出かけた。まあそれでその会社が中学生に向けて「本を無料であげる」キャンペーンをやっていて、リスト一覧に載った本から一冊を選び住所氏名と選んだ本を書いて専用ハガキに載せて送るとなんと本当に、タダで本を郵送で送ってくれたのであった。今になって思うとなぜそんな太っ腹企画をしたのか、なにかのキャンペーンとコラボしていたのか、まあよくわからないけど、とにかく某社はぼくに、文庫本をくれたのだ。小学校のころから本はよく読んでいたぼくは家に帰って早速読み始めたのだが、これがとにかくおもしろかった。目が離せない、ページをめくる手が止まらないとはこういうことなんだなと、思う。母親にご飯だと言われても食卓に上がる気は起きなかったし、授業中も小説の続きばかりが気になる。チャイムが鳴って始まる休み時間は至福の読書タイムで、再びチャイムと共に授業がはじまるとぼくはもの惜しそうに文庫本を机の中にしまったのだった。はりめぐらされた伏線、交差する物語、魅力的なキャラクター、そして最後にそれらが一気に、そして極めて巧みに回収され、物語は幕を閉じる。衝撃だった。こんなにおもしろい小説があるんだ。ぼくは同じ本を選んだ部活の友達と興奮気味に感想を言い合い、そして当然の流れのように思えるけどお互い同じ作家の別作品を読むようになり、持っていないものは交換しあうようになった。ほかの作品も素晴らしかった。本を交換しあい、そして感想を言い合う。しばらくそういう日々が続いた。

でもいつからなんだろうか、全然覚えていないけれど本を交換して読むことも、感想を言い合うこともなくなった。別にその作家に飽きたわけではなく、現に大学生になっても買ったりしているのだからその後も継続して読み続けていたのだけれど。別にそこに特に感傷を見出すとかでもなくて、友人関係も終わったわけでもないし、でもとにかくそういった読書体験はあのころが最初で最後だったように思う。今、ぼくは文学研究会というところに属していて読書会というものに参加して色々な人と感想を合ったりしているのだけれど、でも純粋な感動に突き動かされもうほとんど必然的に感想を言い合うなんて経験はやっぱりあの時間にしかなかったよな、と思う。そもそも読書会は決められた本を読み決められた日時に決められた場所に集まって行うもので、生々しい衝動、文字によって揺さぶられてしまった感情を吐き出したいという欲求から生まれた中学時代とは根本的に違う。別にだからといって読書会を否定しているのではなくて、それにはそれなりの良さがあるし勉強になり、なによりも楽しい。でも大学生になった自分は明らかに活字に対する体力が衰たように思うなあ。ガツガツ集中して読むことが割とむずかしい。あのころみたいに、かじりつくようにガツガツもはや本そのものを食べ尽くすかのように読むことはもうできないのかな。そうなりたいとは特には思わないけれど、自分の中で何かが変わってしまったのか、それともあまり読まなくなっただけだからしばらくリハビリみたいなことをしていればまたあんな感じになれるのかな、なんて思う。まあなんでもいい。とにかくぼくは目の前にある茶色のカバーを付けられた文庫本のページをめくるのが、楽しみだ。

 

ラッシュライフ (新潮文庫)

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