前回
存在しない温泉に落胆しながらさらに歩みを進めてみる。すると、旅館のような、宿泊施設のような建物が目に入った。なんとなく、微妙に期待しながら中に入ると誰もいない。入ってすぐ隣に厨房の入り口があり、中から包丁の小気味の良い音が聞こえてくる。誰かいる!ドギマギしながらぬっと顔を出し、恐る恐るすみませーんと声を出す。
ダメだった。日帰り入浴はやっていないらしい。調理担当と思しき女性が突然の来客に驚きながらも、風呂には入れない旨説明してくれた。仕方がない、ここまで来たのだから大沼公園とやらを目指すことにした。少し歩くとレンタルサイクル屋が数軒見えてきて、「大沼公園駅」と書かれた建物が出てきた。欧風の一軒家のようで、洒落れた造りだ。と、近くに観光案内所がある。聞こう。温泉が無いか、聞くしかない。公園の近くにやってきたものの、俺は温泉への執着を捨てきれないでいた。
近くに日帰り入浴ができる温泉は無かった。対応してくれた眼鏡を掛けた女性は、親切に、しかし難しい顔をしながら地図を広げ、一番近いところでも歩いて一時間以上かかるということを、なんだか申し訳なさそうに伝えてくれた。この暑い中一時間歩き、風呂に入ってまた一時間歩いて汗をかく気力と体力は俺には残っていなかった。ぬるま湯よ、さらば。ありがとう、案内所の人。
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公園には高校生が大勢いた。学校の遠足で来ているのだろうか。そして、広い。高校生以外にも家族連れやお年寄りの集団もいて、まさに老若男女の憩いの場といった風情だった。大沼、というだけあって湖は巨大だ。とりあえずベンチを探し、寝転ぶ。ベンチはやたらとデカくて、もはやベッドだった。
仰向けになると、緑が目に入る。緑の天井が、日光から俺を遮ってくれる。近くではベビーカーに赤ん坊を乗せた母親同士が歓談していて、反対側では爺さんたちがゲラゲラ笑っている。俺はそっと目を閉じた。眠りに落ちるか落ちないか、のあたりの、はざまをさまよった。こういう時間が一番好きだ。旅先で、よそものとして、勝手に溶け込んでしまう、この時間。人々の日常を盗み見ているかのような、穏やかさ。観光スポットを巡るのは疲れる。俺はこうして、非日常の中で日常に擬態するのが大好きなのだ。擬態こそ旅である。目を瞑りながら、俺は京都での疲れを、この北海道で溶かしていった。
いろんなことがあった。うまくいかないことの方が多い大学生活だった。周りとの隔絶を常に感じていたし、それが苛立ちに転じ、どんどん自分の身体が縛られていった。授業にも行かなくなった。すべてに興味がなくなった。でも、ずっと何事もなくここで目を瞑っていると、すべてが鎮まっていくかのようだった。
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気が付けば少し眠っていた。そろそろ駅に戻ろう。腹が減ったのでメシ処を探すが、おみやげ屋ばかりだ。何度か同じ道をいったり来たり、ちょっと高いおみやげメシを食うか迷いながらあるいた末に、謎のご当地感溢れるだんごを買った。
目の前に大沼公園駅があるのだからそこから乗ればいいのだが、ここは自分に厳しくならないといけない。そんなことをすれば大沼から大沼公園までの一駅分を乗らなかったことになる。ここまで来たら徹底的にやらねばならぬ。これは鉄道に乗る旅なのだ。俺は餅をあんこでシバいて口にいれ、来た道を歩いた。ありがとう、大沼公園駅。うまかったぞ、謎餅。
特急列車は札幌まで直通していたのだが、長万部で降りる。難読地名として有名。聞いたことのある駅は、一度降りてみたくなるものなのである。
果たして長万部とはどんな場所なのだろうか。好奇に踊りながらあたりを歩いてみたのだが、思ったより寂しさの漂う町だった。広い道路のそばには波が音を立て、海が広がる。天気のせいかもしれないが、心なしか海は荒れていた。車の通らない道路、吹きつける風、激しくはためく旗、暗い空、人のいない歩道。俺は、急に心細さを覚えはじめた。
そういえば、ほとんど準備をせずやってきたから買い物がしたい。夏の野宿で心配なのは、虫だ。虫よけがほしい。温泉に見捨てられた俺は、今度は虫よけを欲し始めた。どこかで買えないかなあ。こうして、欲しいものが手に入らずさまよい続ける旅になるのだろうか…。
ツルハドラッグあったわ。人生、虫よけはすげえ簡単に手に入るっぽいな。
無事虫よけと当面の食糧を購入し、店の外に出る。買ったものをリュックに詰めるため、ちょうど出口にあったベンチで荷物整理を始めた。
すると、端っこに腰かけていた老婆が話しかけてきた。歳は80を過ぎていただろう。かなりの高齢だ。
「お兄ちゃん、どこから来たの」
「あ、京都からです」
コロナウイルスが猛威を振るっていた時期でもあったし、京都から来たと言うのは憚られた。しかし嘘をついても仕方ない。正直に答えたはいいものの嫌な顔をされるかもしれない。なんで来たのか、と問い詰められたりするのだろうか。少し委縮し始めていた俺だったが、全ては杞憂に終わった。
「ほんまあ!うち京都出身やねん」
これには驚いた!まさか適当に下車した長万部という町で、それも虫よけスプレー欲しさに入った適当なツルハドラッグで京都出身の方と会うことになるとは。おばあちゃんは満面の笑みを浮かべ、とても、それは本当にとてつもなく、嬉しそうだった。「うわあ、京都の人かあ。こんなとこで会えるなんてなあ」
本当は俺は大阪出身なのだけれど、そんなことをわざわざ言うのは野暮というものである。ずっと孤独に一人で移動していた俺もうれしくなった。やはり、旅は良い。こうした瞬間のためにやっていると言っても過言ではない。おばあちゃんは京都のド真ん中で生まれ育ったこと、大学時代に教授の付き添いで北海道にやって来た時にすっかり魅せられてしまい移住を決めたことを、嬉しそうに元気に話してくれた。
「北海道のな、自然に感動したんや。ほら、京都って道狭いやろ?自転車ですれ違うときでも舌打ちされたりするやんか」
「確かに。狭いとこですもんねえ」
「でも、ここはそんなことあらへん。北海道はほんま広いんや。ごっつ、自然が広がっとるねん」
俺はなんだか泣きたくなった。おばあさんの気分が俺と同じだったからだ。狭くて苦しい場所を抜け出して、北海道にやってきた。時代も、年齢も、何もかも違うのにこうしてたまたま「いま」出会ったおばあさんと、俺は確かに同じものを共有していた。共通点があったから話が盛り上がった、というのではなく、このツルハドラッグの前のベンチに座るにいたる生そのものが、人生が、おんなじだったのだ。こんなことってあるのだろうか。俺は、おばあさんの話す関西のセコさに激しく頷き、北海道の自然の壮大さに感慨深くなり、こうして幸せに言葉を交わすことができる喜びを噛みしめていた。おばさんはどうやら北海道の自宅から離れ、今は施設に入っているらしかった。
「病気してもてな、ほらみてみ。骨と皮だけや!」
確かにびっくりするほどおばあさんは痩せていた。出された腕は、比喩ではなく骨と皮だけだった。身体はやせていたけど元気だった。おばあさんは、俺よりよっぽど元気だった。
しかし、途中からおばあさんの様子がおかしくなる。
「もうな、家は周りに電柱一つもなくて夜空がすごいねん。ものすご広うて素敵な場所や」
「いやあすごいですねえ。いいなあ。僕も住んでみたいです。」
「いやあ、ほんま、お土産に土地あげたいわあ」
俺はイレギュラーが大好きだ。予測不能な事態の為に生きていると言っても過言ではないし、いつも好機が訪れるのをまっている。しかし、あまりにも突然、それも列車の発車時刻が迫る中で訪れられると、端的に訳がわからなくなる。え、土地?土地をくれる…?
?????
会話の流れの中でポロっと零れた冗談であるのは誰の目にも明らかだろう。俺もそう思っていた。しかし、おばあさんは会話のターンが回ってくるやいなや「お土産に土地あげたいわあ」と言うのである。え、これはもしや冗談めかして言っているものの実は本気、というパターンなのか!?何回も言うしこれは本当に俺が長万部の土地持ちになる流れになっている…?
「いやあ、北海道スゴイですね。そんなに牛いるんですねえ」
「そうやで。ほんま、お土産に土地あげたいわあ」
「お土産で土地もらったら地元のみんなめっちゃビックリしてまいますよ~」
「いやあでもほんまねえ。お土産に土地あげたいわあ」
多分、調子が良いときの俺だったら具体的なヘクタール数を聞いたりしそうなものだが、幸いと言ってよいのであろうか、そのときの俺はせせこましかったので、列車の発車時刻の方が気になってしまい全てを流してしまった。まあ、北海道のすばらしき自然を知ってほしくてそう何度も言ってしまった、と考えるのが妥当であろう。この感慨深き情景の中で「おばあちゃんいま登記簿謄本ある?」なんて聞くのは外道のすることだ。そして、おばあちゃんもいつしか土地の話はしなくなり、長万部は温泉が有名であること、その温泉が健康によく効くため長生きできるといったことを話してくれた。あたりはいつしか暗くなっていて、別れの時が近づいていた。俺がそろそろ出発することを告げると、おばあちゃんは再び腕を出した。おばあちゃんは、見た目はこんなんやけど北海道の自然と温泉のおかげで元気やねん、と言いながら俺と握手をしてくれた。
俺よりよっぽど力強い、握手だった。痛いくらいだった。とても、それは強い力だった。二十代前半という俺の客観的で陳腐な若さを一瞬で消し去るかのような、ただただ強い、生。
生きるってこういうことなんだ。
俺は立ち上がり心から挨拶をし、リュックを背負い、別れの言葉を告げた。そしておばあさんが別れ際に言葉を掛けてくれた。その一言を、俺は未だに強烈に覚えている。
「この旅で、北海道で、人生に大切なもん見つけてな」
そう言うおばあさんの顔はとても朗らかだった。
(つづく)