三月になにをするか イルカの手づかみ

三月は丸々一ヶ月ヒマだ。正確に言うとヒマ、ではないのだが、時間がある。ここ一年はこういう狭間の時間がやたらと多いな。ライフスタイルが変わって、次に移りゆくさいの、隙。

七月も丸々一ヶ月自由だった。そこから働いたり色々、自分を縛ってみた。そして、三月また自由になる。緩和と緊張の繰り返し。しかし、七月ほどのワクワクというか、緊張感はあんまりない。いやあ、しかしついにおれも四月から正社員か。信じられんな。それが決まったのもつい三ヶ月ほどまえなのか。

話は変わるがこの間山小屋に行った。高校山岳部の卒業生たちが運営している山小屋で、長野県某所にある。スキー好きの卒業生が何人かいて、スキーの楽しさを伺ったところ「マジでパウダースノーが顔面にかかったときに脳から汁が『ブシャッ』って出るねん」と言っていた。やはりいい高校、いい部活に入ったなとつくづく思う。危険な沢登りの話、1000メートルの標高差を一気に滑り降りる山岳スキーの快感、ゲレンデでの暴走、骨折談、諸々ヤバい話がたくさん聞けた。その中で「やっぱ金か命賭けないと楽しくないやろ」という言葉がポロッと出てきて、うなづいた。いや、金も命も掛かってない楽しいことだってあるだろ、みたいな反論はあるだろうが、しかし我々は賭けたいのであると思う。というか、やはり突き詰めればガチで楽しいことって金か命がたしかに掛っているはずだ。どっちも掛かってないことなんておもんないのである。死にそうだからヒリつく、というのとはまた違う。人間の本能というか。東京タワーの展望台から、下を見下ろす。自分がそこから落ちる妄想をする。恐怖して、次の瞬間には胸を撫でおろす。

「落ちてなんかいない。生きている。」

まあしかし、やっぱ何かを賭けねえとなあ、と、最近の生活を振り返りながら思う。とりあえず三月は気球に乗りたいな。別に命賭けるわけじゃないんだけど。楽しいじゃんね。あとは鉄道乗りまくるか。なんか、結局こうだ。やりたいことはそうそう変わんないね。島にも行きたい。うん、変わらん。結局夏に思ってたのと全くおんなじ。やっぱ、ちゃんとしよう、とか思って縛ってもイミない。人間の魂の器の形なんてそう変わらんのである。しかし、やはりずっと好きに解放されっぱなしってのもバランスが悪いのだろう。ここから軽く、ね。どんどん切断しよう。頭も空っぽに。ひとまず、明日は最終勤務。やります。あと、イルカは手づかみしません。してみたいけどな。した人いたら教えてな。

(2024.2.27)