推しってなんやねん

推しってなんやねんって思う。物陰から隠れて、好きな人のこと見守ってます、みたいな距離の取り方が気に食わない。

今の世の中の若い世代の、推し活とか、消費に根差した快楽摂取全般が苦手だ。もっと世界変えようとせえやと思う。上のジジイ共を舞台から引き摺り降ろして、最高に気持ち良くてハッピーな世界作ってこうや。いや、俺がそういう人と出会ってこなかっただけなのか?そうなのかもしれない。

俺は、人を好きになると自分がどんどん壊れそうになる。引力に引っ張られて、全部分解されていく。魂が渦を巻いて、ヘドロを撒き散らす。どんどんドス黒くなる。好きで好きで、白が右上になって、永野さんがペンタブに変身する。やから、推しってなんやねんって思う。推しです。キュンってしてます。みたいな。なんじゃそれ。

あと、消費はやっぱ虚しいと感じてしまうので、共感できないのもある。消費したって、鑑賞したって、ただそれって他人を見ているだけに過ぎない。根本的な渇きは癒えない。ずっと乾きっぱなしだ。生きているという事実そのものを世界に対してぶつけることが一切できない。俺はカネコアヤノが大好きだ。しかし、聴くたびにめちゃくちゃ悔しくなる。なんだかわからないが、物凄く悔しくなる。そして、いつか絶対直接会って、公式に会える立場になって、そして胸を張って話がしたい。俺はできると思っているし、必然的にそうなるものだ。

だから思う。推しってなんやねん。消費によって本質的に満足できるひとたちが、この世には結構多いのかもしれない。でも、ねえ。見てるだけじゃねえ。物足りねえなあ。好きって言うと、はらわたドロっと剥き出しにしている感じだけど、推しだったら紙に書いて提示している感じ。その、臓物を出していない感じに俺はひたすらムカついているのだと思う。

ナメやがって。俺はいつだって小腸剥き出しにしてやる。

(2024/5/24)