日記(11/12) おもしろい方へ

「ラーメン荘 おもしろい方へ」

JR学研都市線住道駅から徒歩10分ほどのところにそのラーメン屋はある。いわゆる二郎系というやつだ。麺が太い、あれ。もやしとかがわんさか乗ってるやつ。

おととい、ふと行ってみようという気になった。まず、朝起きる。最近早朝に目が覚めるのでニトリで枕を買う。めっちゃいい。ほいで、そのまま自転車で住道(すみのどう)行くかあ、となったが、なんだか雨が降ってきた。それもザーッというものではなく、ミストサウナみたいな。漕いでいるうちにメガネがしっとりするタイプの。

まあ、今日はやめとくか。近所のラーメン屋でガマンしよう。似たような、太麺の、ワシワシのとこあるし。家に自転車を停め、歩いていくことにする。5分くらい。いいのかなあ。いいか。雨だし、近場で済ませて今日は家でのんびりするか。なんて考えていると店の前につく。

ドアを開けることなく、俺は駅へと向かった。住道へと向かうためだ。だめじゃん。こんなのつまんない。食いたいの我慢して近場で済ませる?堕落だ。そして俺は行きたいラーメン屋の店名を思い出す。「ラーメン荘 おもしろい方へ」

そう、おもしろい方へ。面白い方へ、住道へ行かなくてはいけない。負けていられない。雨のなか、おれは駅まで20分歩いた。

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高校以来かもしれない。18で卒業したわけであるから、もう8年振りになるのか。あれから何も変わっていないなあ。俺も、この街も。空はどんより暗い。曇っている。殺風景な川沿いを歩き、橋を渡る。この何も無い感じ、生気を抜かれているこの感じが、むしろ魅力へと転化しているように思う。マンションの一階部分に「ラーメン荘 おもしろい方へ」はあった。並ぶ前にまずは近くの商業施設のトイレへ。入るだけで頭が痒くなる。いかにも昭和といった風情。時が止まっている。

初めてこの店に来たのは高校二年のときだったはずだ。なんで見つけたのか、まったく覚えていない。たしか駅前にカードゲーム屋があり、カード目当てに来てあたりをぶらぶらしているときに見つけたような気がする。そのころの俺はいわゆる二郎系というものを全くしらなかった。店内ではずっと「ラブライブ!」の曲が流れていた。本当にずっと。こんな無骨なラーメン屋でずっとラブライブ!が流れ続けることがあるのか、と思いつつラーメンを見るなり仰天した。なんじゃこの麺!太い!「靴紐みたいだな」というのが最初の感想。そして口に運ぶなり異文化との遭遇、価値観破壊、インド放浪、地動説発見、童貞卒業、天地逆転、富士山大噴火、新渡戸稲造パラダイムシフト、もう目がぐるぐるして衝撃で口から胃、あたまのなか、食道、だいちょう、ありとあらゆるぞうき、もうぐちゃぐちゃに衝撃を受けた。

なんやこの食いモン・・・。正直、最初は全く美味いと思えなかった。食べたあと、山岳部の部室で「ヤバいラーメン屋に出会った」「麺が靴紐だった」「とにかくヤバかった」と口早に説明した。はじめてUFOを見たクソガキみたいになっていた。

だが、しばらくするとまた欲しくなった。いや、強烈に欲していた。食べたい。あのラーメンをもう一度。

食べたい!

それから何度か通うようになり、他の二郎系の店にも足を運ぶようになった。京都の大学に行ってからは京都市内の店にもよく通った。しかし、啜るたびに思うのだ。なんか違うんだよな・・・。いや、美味いんだ。うまいんだよ。だけど違う。俺は、あの味、学研都市線住道駅とかいうよくわからん駅のようわからん場所にあるあのラーメン屋で、アニソンがガンガン鳴り響く中元気の良すぎる兄ちゃんたちが作る、あの味が食いたいんだ。周りの人間が「いやーここのラーメンうまいな!」と言うたびに、おれは心の中で「いや、住道のあそこが世界イチうまい」と、わずかながら反論していたのであった。

外で並び、中で食券を買う。ただのカラーのプラ板が出てくる。壁側にある椅子に並んで座る。試験前。面接前。処刑前。みんな何も語らず、緊張感のなか、ただ座る。戦に赴く前の足軽たち。スマホをいじる者、ただ虚空を眺める者。そう、この緊張感だ。我々はこのやや張り詰めた空気を欲している。この空気感こそが、あのワシワシの太麺に体現されているのであって。「食券見せてもらっていいですか?」儀式だ。イヤホンをしていた者も、一旦は中断して食券を見せる。ラーメン小150グラム、大、並・・・。ひとりひとりのオーダーを確認していく。まるで名前を読み上げられるかのよう。個々の存在を、店員という審判者に委ねている。そして我々はカウンターに座る面々が「ニンニク入れますか?」と順番に必ず尋ねられ、黙々と啜るさまをずっと見続けている。次は俺たちの番だ。おれたちが、ニンニクを入れるか聞かれる番なのだと。ロット毎に分かれてラーメンが配膳されていく。この機械的な、様式美とも言える流れ。おれたちはこのシステムに身を預けたがっている。この中の一部となり、欲求を満たす。完璧に計算され尽くされた快楽。「では一番端の方からどうぞ」きた。ついにカウンターに座る番だ。空腹に耐えた甲斐があった。この後にはカロリーの塊みたいな飯が食える。

こんな根源的な幸福の感じ方が他にあるだろうか?

各々、みずから箸を取り、水を汲み、おしぼりを取る。戦の準備はできた。こうして箸等々を自分で取るというのも、人生の喜びを再確認させてくれる営為なのである。己のことは己でする。これこそが生きる喜びではないか。やはり、今でもずっとアニソンが流れている。無骨な店内。最高だ。客層は幅広く、各々のライフスタイルは全く違えど、みな一同に会し黙々と麺を啜る。この喜びよ。ヒトはこうして集うことができる。見たかダンゴムシ!バーカ!うだうだと、いろんなことが頭をよぎる。いやあヒトというのはやは「ニンニク入れますか?」

 

 

店員の声が響く。

 

 

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いやあ、美味かった!また来ます。

(2023.11.13)